自己復帰(日本を出た理由)

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灰色の空の下 今日もまた何もなかった
君は一人つぶやく 疲れ果てた顔して
何を待つというのか 虚像の社会の中で
何をしたいか わからずに
人の目ばかり 気にかけて
君は走り続ける 敷かれたレールの上を
自分の生き方さえも 考えることを忘れて
戻りたい 自分自身に
戻れない

この先は どうなるの
気が付けば もう若くない
何も見つけられずに 月日が流れていった
君は焦りを覚え むなしくあがき続ける
戻りたい 自分自身に
戻れない

君がでて行く 一人きりで
偽りの この社会から
自分の足で歩こう 心の幸せ求め
気づいた今日であるなら 遅すぎる事などないさ
戻りたい 自分自身に
戻れるさ 戻れるさ
戻れるさ 戻れるさ

この「自己復帰」という風変わりなタイトルの曲も僕がずっと以前に作った曲である。

この前の 「Busker’s Blues」 から1年後ぐらいあとに書いたと思う。そのころ僕のバスカーとしての生活も限りなく不安定なりに安定して来て,少し自分の状況を考える余裕がでて,自分がなぜ日本を出たのか?ということを考えだした。

でも,この曲を書いた直接の理由は他にある。
実は,旅を始めて数年後、日本に一度戻ってみることにした。帰国中は実家のある大阪,心斎橋筋の路上で毎夜歌っていたのだが,そのとき偶然前を通りかかった朝日新聞の女性記者に取材を申し込まれた。後日インタビューを受けて新聞に掲載されたのが以下の記事である。

この記事を見たという人から新聞社経由でいくつかの手紙をもらった。その中の一つが,20代後半の女性だったと思うのだが,「自分の人生に行き詰まりを感じている。でも,あなたのようにそこから飛び出すだけの勇気がない。」といった内容の手紙だったと思う。
僕は,その人の事を歌にしてみようという気になり,この曲を作り出した。前半部分の歌詞が完成して読み返してみると,そこにあるのは,自分自身のことだと気づいた。僕は,その女性(あるいは生活に行き詰まりを感じている日本人一般)について書こうとしたのだが、実は自分のことを書いていたのだ。

僕はこの曲の歌詞が気に入っている。

日々の生活の中で、特に何か不満や心配があるわけではないのだが,自分の人生に何か満足できない。何か大切なものを忘れているようの感じ。将来への,あるいは年を取っていくことへの漠然とした不安。例えるなら頭上に灰色の雲が垂れ込めているような感じだ。純真な子供のとき感じていたような,朝起きると今日は何か良いことがあるというわくわくするような期待感や小さな新しい発見で胸の踊るような感動などが失われ,なぜかわからない漠然とした違和感を感じて送る日々。この歌詞の最初の部分のイメージはそんな感じだ。

それは,自分の価値観ではなく,社会一般の価値観で生きているから起こることだと思う。いわゆる「成功」つまり「お金」「ステータス」「権力」をみんなが目指して生きている。それにより近づいたものが人生の勝者であり,遠いものが敗者だ。もちろんその価値観に適応できるものは何の問題もなく,スポーツやゲームを楽しむように人生を謳歌できるのかもしれない。でも,もしその社会価値観が自分自身の価値観と違うものなら,その中で自分をねじ曲げて生きていくのは非常につらいものだと思う。たとえ,その人が社会的に成功し,他者から羨ましがられたとしても,たぶん自分の中では不満が残るのではないだろうか。

僕の場合は,大学を出て働きだした当初は,その社会の価値観に沿って生きていた。何とか成功してやろうと思っていた。でも数年が過ぎ,そういった気負いもなくなって冷静に自分の人生を考えた時,そもそも自分の生き方の方向性自体が間違っているのではないかと思い始めた。それは、たとえ社会的に成功できたとしても,僕は自分自身の人生に対して心から満足はできないということだった。

しかし,それではどうすれば良いのか?

具体的な答えは出てこなかった。
そんな中で僕が考えたのは,「それでは自分の命があと2、3年の命だとしたらいったい僕は何をするだろう?」ということだった。数ヶ月の命ならやけっぱちになるだけかもわからないが,2,3年なら何かできるかもわからない。そのときとりあえずヨーロッパを見てみたかったので旅にでようと思った。また自分にとって音楽はなくてはならないことを確認した。そこで旅先で歌うことを思いついた。(このときはまだバスカーなる存在は知らなかった。)
でも,実際に会社を辞める決心がつくまで半年かかった。僕の場合そのとき会社を辞めるというのは,転職ではなく,自分の価値観で生きていくこと,ある意味で一般の社会生活を捨て去ることを意味した。本当に怖かったし,それで生きていける確信など何もなかった。

でも,その決心をし,その目的に向かって走り出してからは,自分の人生がまったく違ったものに感じられた。言うなれば,そのときに新たにこの世界に生まれたような感じだ。この時代,日本という国に生まれたということにとらわれることなく,自由に生きていける。誰も守ってくれないし,責任も取ってくれないが,自分の人生を自分の決断で生きていける。僕にとってはそれはとても意味のあることだった。

この曲の歌詞は,ポジティブなところで終わっている。

自分の足で自分の人生を歩き始めるところで。
でも,本当の人生ではその先がある。映画や本ならたぶんここで終われば良いのだが,実際の人生はその後も続いていく。難しいのは本当はこの先なのかもしれない。
僕の場合は,「自由」について来た「孤独」というものに打ち勝てず,半分だけ「安定」に依存する現在の生活に戻るわけである。