Busker’s Blues(バスカーの魅力)

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ありきたりの人生は 
この俺にゃ似合わないから
旅にでたのさ 旅にでたのさ
ギターを手にして
見知らぬ国の 見知らぬ街へと
あてどなく さまよって
数知れぬ 国を超えた
金などないけど 金などないけど
自由があるなら
明日は明日の 風が吹くさ
風のように 生きたくて
自由が 欲しくて
夢だけ追いかけ 夢だけ追いかけ
今夜も歌うのさ
明日はきっと 何かが見つかるさ

僕がこの曲を書いたのは,もう20年近く前のことだと思う。今更こんな古い曲を録音するのもおかしいかもわからないが,新しく録音して,ついでにビデオを作ることにした。実はスイスはこのところシベリアからの寒波の影響で,氷点下の日々が続いており,家の中にずっといて時間を持て余しているのでこれはちょうどいい機会だと思い録音を開始した。
この曲は,ごくシンプルなブルースである。歌詞もストレートに当時の自分のことを歌っている。何の小細工もないストレートなブルースだ。これを作ったとき僕はまだバスキングを初めて。2、3年ぐらいのころだったと思う。ヨーロッパを中心に稼ぎ,冬場を東南アジア,オーストラリアで過ごすというパターンが出来上がって来たころである。
その年僕はバスキングのときに販売するカセットテープを作ることを決心した。当時は,CDを販売するバスカーもいるにはいたが,まだほとんどのバスカーはカセットテープを売っていた。
パリに住むフランス人の友人フレッドが,自宅に機材を持ち込んで録音を手伝ってくれるということになり,パリに1ヶ月ほど滞在した。パリ中心部にある小さなナタリーとフレッドのアパルトメントに僕は転がり込んだわけである。(フレッドも彼女であるナタリーのところに転がり込んでいた)当時フレッドは失業中で,3人での生活は経済的には大変だったが,パリジャン、パリジャンヌの生活を見れて楽しかったし,アレンジのことなどでフレッドと音楽面で口論したことも今では良い思い出だ。そのときカセットテープに入れる曲数が足りないということで,僕は4曲ほど曲を書いた。「Busker’s Blues」はそのとき作ったうちの1曲である。
そのあともこの曲は,バスキングのときよく歌っていた曲である。歌詞は僕のバスカーの想いをそのまま書いたものなので,旅をしていたころは,思い入れたっぷりに歌っていた。今僕は現役のバスカーとはいえ,旅をしているわけではなく,自由と孤独、それにまだ来ない明日への不安と希望にうち震えているわけでもない。スイスという平和な国に住み、家族とともに安定のある生活をしている。そんな現在の僕にとってこの歌を本気で歌うのはちょっとヘビーである。あのころの想いを胸に蘇らせないと,表面的なものになってしまいそうである。
この歌を歌っていて、なぜ自分にとってバスカーというものがそんなに魅力的なのかと不思議に思う。バスカーなんてほとんど他人からは軽く見られるし,稼ぎも他の職業に比べ全然良くない。まあ,自分の好きなことをやって、限りなく自由であるとも言えるかもわからないが,何せ金銭的に苦しくては本当の意味での自由ではないだろう。それにどんなに成功したところで,社会一般な成功とは関係のない世界だ。どんなに頑張ったところで勝者にはなれない。でも僕にとってはそこがカッコいいのである。まあ「敗者の美学」とでも言えるのだろうか。
それと旅への憧れである。
実は僕は学生時代は全然旅行になんか行かなかったし興味もなかった。そんなお金があるなら日々の生活スタンダードを上げる方がよっぽど良いと思っていた。それが,大学の卒業旅行でオーストラリアに一人で行く事になってしまった。本当は友人と一緒に行くはずだったのだが,彼は入社前研修が入って急に行けなくなってしまったのだ。とても不安だったのだが,結局は一人ででも行ってみることにした。そのとき夜行バスに乗り翌朝新しい街に到着するという行程を何度も使ったのだが,バスの座席に一人座り、早朝遠くに街の灯りが見えて来て、それがだんだんと近づいて来るときの何とも言えない「この新しい街で何が待っているのだろう。」という期待と不安の入り交じった感覚がとても強烈に胸に残った。そのときはなぜか良くわからなかったのだが,どうしようもないほど好きになってしまった。そのあと,転職して2ヶ月アメリカをグレイハウンドのバスで一周したときも同じような感覚にとらわれた。
僕がバスカーの旅という要素を固執したのは,このことがあってだと思う。『バスカーは一カ所にとどまってはならない。」という掟を自分の中に作って長い間それに従っていた。
流れ者、流浪の民,そういったものに憧れとかっこよさを自分が感じるのはたぶん幼いころに見たテレビや映画の影響ではないかとあとになって気づいた。僕は小さい頃,流れ者を主人公にした西部劇が大好きだった。名もないガンマンがある街に流れて来て、そこで事件に巻き込まれるのだが,やがてまたその街を去っていく。彼は戦いに勝ったとしても,どこに行ってもよそ者で、人生において勝者ではなく敗者である。あるいは,日本の時代劇にも憧れた。特に「木枯らし紋次郎」はけっこう熱を上げてみていた。彼も人生の敗者であろう。
僕がヨーロッパで本物のバスカーに出会ったとき,これらの要素が結びついた。音楽産業やプロダクションといったものとまったく関係のない世界で自由に自分の好きな音楽を演奏し,成功など目指すこともなく,自分の価値観で生活し,しかも気のむくまま足のむくままに旅をしている。他人の目など気にすることもなく,自分の人生を自分一人の力で生きている。「かっこいい。」と本当に思ってしまった。
自分がバスカーになった当初は,何もかもが新鮮で,面白かった。次に何がおこるのだろう,何が待っているのだろうという期待感が不安や孤独感を上回っていた。ところが,そんな生活もいつかパターン化してくる。そうなってくるとやはり何の社会機構にも属していないということは,非常に孤独な状態である。最初,「こんなに自由に旅ができるのは修行僧かバスカーしかないんだ。」と意気込んで,今日現在を生きていた僕も,「明日は何かが待っている」という「木枯らし紋次郎」か「明日のジョー」の歌のように現在ではなく,まだ来ない不確定な未来に夢を託すことになっていった。
この「Busker’s Bules」はそんな時期に作ったものである。だから僕のバスカーとしての気負いというか自信とともにこれから先の不安とが微妙に入り交じっている。その後,僕は旅をさらに続け,結局は自分は生涯旅の生活をするのにはむいていないという事実を認めることになる。現在僕は定住型バスカーとして安定した生活を送り,また定住しているがために可能なバスキングのスタイルを楽しんでいる。でも,やはり心のどかでは,旅を続けるバスカーに対しての憧れは消えない。
この曲を自由を愛する全てのバスカーに捧げたい。