結婚式が苦手

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先日3週間連続でのパーティーの演奏がようやく終わった。

しかも,それぞれ異なった種類のパーティーでの演奏である。最初は,プライベートの自宅でのガーデンパーティー、2つ目は結婚式のアペロでのバックグラウンドミュージック,最後は,レストラン主催のアジアをテーマにしたアペロナイトでの演奏。こんな風に立て続けに演奏依頼が舞い込むのも珍しいのだが、それぞれにプログラムも異なり,無事終了し、少し一息と言ったところだ。

せっかくだから,これもちょうどいい機会なので、演奏者としてパーティーの種類の違いにより演奏のしやすさがどうかわるのか,もっと単純に言うなら,どの種類のパーティーが演奏しやすく, どれがやりにくいのか,それを少し自分なりに考えてみたいと思う。

まず今まで演奏した中で一番やりにくかったのはどんなところだったか?と問われれば,なんと言ってもお葬式での演奏を頼まれたときだ,と答えるだろう。もちろんこれはパーティーというカテゴリーではないが,これほど選曲に困った事はない。もう数年前の事だが、スイス人女性から母親のお葬式に二胡を弾いてくれないかと頼まれた。二胡の音色に心が癒され,故人もきっと喜ぶだろうという事であったが,引き受けはしたものの演奏する側としては,どうゆう曲を演奏すればいいのか悩んでしまった。楽しい曲というのは場違いな気がするし,かといって悲しい曲というのもとってつけたようだ。結局,テンポの緩やかな美しいメロディーという基準で選曲した。当日,教えてもらった墓地の住所をたよりに演奏場所に到着した。お花が飾られた墓地のホール内での演奏,もちろん静粛な雰囲気だ。牧師さんのスピーチの合間に二胡を演奏し,故人を忍ぶスピーチでは,すすり泣きが聞こえる。そのあとに二胡で音を出すのは,結構度胸が必要だった。参加者には,僕の演奏は満足してもらえたようだが,演奏後「やったぞ」という気分にはならなかった。

パーティーの中で僕が長らく苦手としていたのは,結婚式のアペロでの演奏だ。

とはいえ,僕にとっては、このパターンの依頼が一番多いのだが。どうもミュージシャンの立場としては、「その場にいるすべての人に音楽を楽しんでもらわなければ」と言う義務感のようなものをどうしても持ってしまう。しかし,現実には,結婚式に呼ばれて音楽を聴きにくる人などいなくて,花嫁,花婿さんを祝福しに来るのだ。はっきり言って音楽などどうでもいいのである。とはいえ,すばらしい音楽,いい音楽がそこにあれば,そこに居合わせた人たちが注意を向けるのも当然である。ただ,この場合問題なのは、どういう音楽が「いい音楽か」ということだ。もちろん、ここに改めて書くまでもなく「いい音楽」という解釈は千差万別,人それぞれである。特に結婚式では,2つ異なった家族が集まる。もしかしたら,階層,文化,あるいは国籍の異なる人たちかもわからない。その上、結婚式では,たいていお年寄りから子供まで様々な年代層が参加している。お年寄りは静かなメロディーがいいであろうし,中高齢者はオールディーズを望んでいるかもわからない。若者はビートの効いたヒップポップ,ティーンエージャーはパンクかヘビーメタルが好きかもわからない。子供はたいくつなので一緒に歌ったり踊ったりしたいだろう。そして世代に関係なく,中には音楽のない静寂が一番という人もいるだろう。一人のミュージシャンがこれらすべての人を満足させる事など,誰がどうがんばったところで不可能であろう。そんなわけで,結婚式での演奏のあとは,どうも達成感が感じれない場合が多い。

結婚式に比べるとバースデイパーティーは,少し来客層が限定されてくる。なにせ、誕生日は一人の人間のお祝いであるからだ。従って,当然一人の人間の親類、友人,知人が集まるという事になる。でも,年代層はやはり幅広いものとなりがちである。おじいちゃん,おばあちゃんもくれば,甥っ子、姪っ子も来る。またまた一人のミュージシャンがすべての人を満足させるのは,至難のわざとなる。

これらと少し異なるのが、レストランやバーでのバックグラウンドミュージックの演奏である。どんな人が聴衆になるのかは,それぞれの状況によるのだが,この場合ミュージシャンが中立の立場ではなく,お店側に属しているようにみられる事がすこし他のものとは異なっている。言ってみれば,音楽もそのお店が営利をあげるための道具で,ミュージシャンもその助っ人であり、つまりはそちら側の人間である。

僕の経験からすれば、一番やりやすいのは,なんと言ってもこじんまりしたプライベートのパーティーだろう。しかも,欲を言うならば,お金持ちであってはいけない。ごく普通のどこにでもいる人の自宅でのパーティーがいい。この場合,主催者のごく親しい人の集まりとなる。招待された人も同じような趣向の持ち主が多いだろうし,事前にパーティーにこういうミュージシャンを呼んでいると既に連絡が行き渡っているかもわからない。僕の演奏がメインのアトラクションでそれを楽しみにして来る人がいるなら,しめたものだ。コンサートと同じで,来客者の聞く態勢は出来ているのだから,あとは,いい演奏をするだけである。よけいな事を考えずに,自分の演奏だけに集中すればいい。

それに引き換え,主催者がサプライズとして僕の演奏をオーガナイズした場合,来訪者の趣味に合えばまさしくいい意味でのサプライズとなるが,外れたときは,ミュージシャン側も聴衆も大変やりずらいものとなる。主催者も思惑どおりに事が進まないのでがっかりであろう。
そういうわけで,「ミュージシャンを呼んでいるのはサプライズにしてある。」と聞くとどんなパーティーであれ少しばかり警戒心を覚える。
まあ,いろんな種類のパーティーに分類できるが,もしかすると演奏のしやすさは、本当のところその種類というよりも,主催者がどれだけうまくパーティーをオーガナイズしているか、という点がキーポイントなのかもわからない。中には,演奏場所も時間も何も考えていない人がいる。ある程度は僕からの意見も言うようにしているが,結局主催者のパーティーであるのだから,最終的な決定権は僕にはない。失敗例としては,照明のない真っ暗な公園での演奏(僕は暗譜で弾くので何とかなったが,演奏後手探りで楽器を片付けないとならなかった。),客の一人も来ないバーでのパーティー(店の前で道路工事が始まっていた。)、スイスのハンドオルガンと僕とで一曲づつ交互に演奏する。(両方とも場違いな雰囲気になってしまった。)などなど。



今回このコラムにつけたビデオは,最初に書いたガーデンパーティーのときのものである。このときは,僕の妻と息子もそのパーティーに招待され,僕の演奏は「アジアプログラム」を希望との事だった。せっかく家族でいくのだから,三人でも演奏もする事にしたので,僕にとっては本当にフルプログラムだった。二胡、尺八、三味線の三つの楽器を説明,演奏してから,休憩のあと「Miyoshi Family」でも演奏した。 しかし,このときは典型的な,「やりやすいパーティー」であった。演奏依頼を受けたときから,主催者のスイス人女性は気さくでいい人なのはわかったし,その友人であれば,同様の人たちが集まるに違いない。しかも,演奏前にゲストとして他の人に混ざり,食事をし,周りの人たちと歓談していた。既に,僕は「見知らぬミュージシャン」ではなく,知り合いとして演奏を開始することが出来た事になる。こんな理想的な展開は,滅多にあるものではない。

さて,もう一度結婚式での演奏に戻りたいと思う。さすがにこれだけ結婚式での演奏をこなしていると「参加者全部を満足させよう」などという大それた事を考えなくなってきた。もちろんどんな状況であろうが手を抜く事なく,最高の演奏を心がけているが,あまり周りを気にしなくなった。先日,僕が以前結婚式で演奏した夫婦にあってお礼を言われた。「実はあなたが私たちの結婚式で演奏していたとは気づかなかったけど,先日写真を見て,ああ,ミュージシャンが居たんだと気がつきました。ありがとう。」確かそのときは花婿の母親が僕をオーガナイズしたと思う。本人たちは,僕の音楽に気づく余裕もなかったのだろう。でも,こうして結婚記念のアルバムの中にミュージシャンの写真がある、という事に意味があるのではないだろうかと考えた。例外なく結婚式ではカメラマンが僕の演奏風景をカメラに収める。あとで誰かに結婚記念のアルバムを見せるとき,「そうそう,この珍しい楽器を結婚式のときに演奏してもらったのよ。」と言えるために僕は結婚式で演奏するのかもわからない。