正志 初ソロコンサート

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正志は、とても恥ずかしがり屋だ。

ついこの前までは、ろくに挨拶も出来なかった。近所の人が、「正志君、こんにちは。」と声をかけてくれても、何も答えない。街でクラスメートが、「ハーイ、マサシ。」と呼んでも、答えない。こちらが、いらいらしてくるぐらいだ。

そんな正志が、人前で一人で演奏するなんて、想像できるだろうか?

正志が、まだ幼稚園に通っていたとき、幼稚園の先生から、僕に”子供たちに楽器を見せてくれないか”と、依頼された。断る理由もないので、直ぐに引き受けたのだが、ついでだから、正志も一緒に演奏していいか尋ねてみた。正志は、この年からメロディカを弾き始めていたので、”人前で演奏させるのもいい経験だ”と思ったからだ。もちろん、先生からは、オーケーの返事をもらった。

その当日、僕は、子供たちの前で二胡を数曲演奏し、そのあと、ギターで正志のメロディカに伴奏をつけた。たぶん、鍵盤楽器で4歳の子供がメロディーを弾くのは、珍しいことではないだろうが、正志はいつも僕と演奏しているので、リズムがしっかりしていて、狂わない。先生は、少し感心したようだ。

後日、幼稚園の先生から“年長組みの卒園式で、正志一人で演奏しないか”と、問い合わせが来た。正志がどういうかわからなかったのだが、とりあえず聞いてみると、

「うん。」

「パパと一緒じゃなくて、一人なんだよ。」

「うん。」

本当に大丈夫かな、と思ったのだが、本人がそういうのだから、とりあえずオーケーの返事をした。
卒園式の日が来るまでに、妻のメラニにどう思うかきいてみた。

「一人じゃ、無理でしょう。」

おばあちゃんにも尋ねた。

「正志が一人で?無理じゃない。」

僕も、正直なところ「無理だ。」と思った。

いよいよ卒園式当日になった。

幼稚園は、僕たちのアパートのすぐ近くで50メートル程度しか離れていない。しかし、正志は、このときまでこの距離を一人で通うことも出来なかったのだ。その正志が、見知らぬ大勢の人の前で、一人で何か出来るはずがない。僕は、正志が失敗したとき、どう慰めるのがいいかと考えながら歩いた。たぶん、メラニ、おばあちゃんも同じことが胸をよぎっていたのであろう、誰もしゃべらなかった。

幼稚園に着くと、校舎内は園児の父兄でいっぱいで、座るところもなかった。

まずは、園児みんなで練習した、“子供サーカス”だ。正志も他の子供に混じって、細い木の上を傘を持って綱渡りの要領で歩いていく。

そして、いよいよ、正志のソロコンサート。

僕は、自分が演奏するよりもずっと緊張しているのがわかった。いつもは、僕が一緒だから、間違っても、演奏が止まることはない。でも、今日は一人。どうなるのだろうか?

そして、正志は、その日そこに集まった全員が見守る中、中央に進み出ると、メロディカをテーブルに置き、おもむろに音楽を奏でだした。

演奏が終わったとき、大きな拍手をもらい、恥ずかしそうにしている正志がそこにいた。

多くの父兄の人たちから、お褒めの言葉を頂いた。でも、正志が、きちんと弾けることは、僕にとっては、当たり前のことだ。ただ、“人前で一人で弾いた”、ということにこの僕が、誰よりも驚いていたと思う。

今でも、少しはましになってきたとはいえ、相変わらず正志はシャイだ。初対面の人はもちろん、あまり良く知らない人とは、日本語でもドイツ語でも大きな声ではっきりと話せない。でも、不思議なことに楽器を持つときりっとする。人前で演奏するのも全然平気だ。ステージであれ、路上であれ、気にしない。このところ、エレキギターを持った正志の姿は、ちょっとしたロックスターのようにさまになってきている。