Philのこと 2

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二度目のヨーロッパで、僕が再び最初に訪れる地としてロンドンを選んだのは、もう一度フィルの歌を聴いて見たい、という理由からだった。

約1年ぶりにみるロンドンの街は、相変わらず重厚な雰囲気を僕に伝えてくる。宿を前年と同じアールスコートにある、ユダヤ人のフリーマンが経営するフラットに決め、翌日より、さっそくギターを抱えて、地下鉄の駅にバスキングに出掛けた。グリーンパーク駅も、ピカデリーサーカス駅も昨年と少しも変わっていなかったが、僕の知っているバスカーは、不思議と誰も見かけなかった。2日が過ぎ、3日が過ぎ、それでも顔見知りにあわないと、僕はロンドンの地下鉄のバスカーは、入れ代わりが激しいのだと思い始めた。こんな地下深いところにもぐりこみ空気の悪いところで、毎日長時間演奏し続けるなんて、所詮無理なことなのだと。おそらく、昨年僕のであったバスカーたちは、どこかよその土地へと移っていったのだろうと、勝手に想像していた。

でも、僕のこの考えが間違いであることは、そのあと直ぐに判明した。演奏を開始して4日目、僕は顔見知りのバスカーに次々と再会した。インドネシア人のマルチプレーヤー、エディー。サックスのキャロライン。トランペットのシュガーに、テナーサックスのドッフィー。みんな僕のことを覚えていてくれて、「ずいぶん長い間見かけなかったけど、どこへ行っていたんだ?」と尋ねてきた。やはり、自分のことを覚えていてくれる人がいるというのは、嬉しいことだ。

しかし、フィルの姿は、そのあともなかなか見つけることが出来なかった。でも、僕はもうあせらなかった。フィルが、このロンドンの地下鉄の中で演奏していることは、他のバスカーから聞いてわかっていたし、僕が演奏を続けている限り、再会できるのは、間違いなかったから。

その再会の日は、それほど遠くなかった。

ちょうど、ロンドンについて1週間が過ぎたある夜、僕は、グリーンパークの駅で演奏をしていた。昨年来、ここが僕の一番のお気に入りのスポットだ。ピカデリーラインとベーカリーラインを結ぶ50メートルほどのトンネル。その夜も、僕はその中ほどの壁際に立って演奏を続けていた。ちょうど、そのときは、ジョン レノンがカバーした“スタンド バイ ミー”を歌っていたと思う。左手のほうから、ふらふらした足取りの男が、歩いてきた。どうやらかなり酔っ払っているらしい。と、その男は、僕のサウンドを聞き入るように足を止めた。その男が、背中にギターをしょっているのを見たとき、もしや、と思ったが、僕が気づくよりも早く、彼が大声で叫びだした。

「トシ、トシ、帰ってきたのか! トシ。」

もはや間違いない、フィルだ。埃だらけのカーボーイハットをかぶり、ズボンもシャツも垢まみれ。ギターを持っていなければ、間違いなく乞食と思われるところだが、僕の捜し求めていたフィルだった。フィルは、僕に抱きついてからもなお、「トシ、トシ。」と、うわごとのように繰り返していた。

近くから改めてフィルを眺めてみると、顔に生気がなく、ずいぶんとやつれたようだった。それに去年よりも、アルコールに浸りきっているようすだ。ギターアンプも持たず、その代わり、ギターのネックのところに、ケンタッキーフライドチキンの紙コップがぶら下げられている。どうやら、演奏スタイルを変えて、地下鉄の列車の中で歌って、お金を集めているようだ。

「トシ、アリスが、アリスが入院しているんだ。」

「何だって、アリスがどうしたの?」

「アリスが、病院に連れて行かれたんだ。ポリスが来て、アリスを無理やり病院に。」

「どうして、そんなことになったの?」

「アリスは、病院に行ってしまい、俺は一人ぼっちなんだ。俺のたった一人のアリスが…。」

フィルは、泣き出してしまった。僕は、取り乱した彼に掛ける言葉も見つからなかった。

しばらくして、ようやく、少し落ち着いたようだ。

「でも、あと3週間すれば、かえって来るんだ。アリスもトシに会いたがっていた。」

「そう、それは、よかった。元気を出せよ、フィル。」

僕たちは、久しぶりの再会を喜びあった。

その後、フィルとは演奏中に何回も会った。フィルは、ほとんどいつも誰かパートナーを連れていた。時に、ギターに関しては、初心者の友人であり、時には、バスカー歴20年というフィルのバスカーの先生の中年の男だったりした。僕は、フィルのサウンドに対して、昨年感じていたある種の魅力をもはや感じていない自分を発見した。それが、僕の1年間に渡るヨーロッパ各地での演奏による、“バスカーとしての成長”が原因なのかどうかわからない。とにかく、僕とフィルの特別な関係は、薄れていった。

アリスのことをキャロラインをはじめ、他のバスカーに尋ねてみたのだが、誰も詳しいことは知らなかった。僕の想像では、ドラッグ漬けになったアリスが、ポリスに強制連行されたというのが真相ではないかと思う。フィル自身の言う、”アリスの退院の日“は、3週間後からいっこうに近づくことはなかった。その反対に、僕が再びロンドンを離れる日は、だんだん近づいてきた。

今回僕は、フィルに何も告げなかった、出発前日、フィルの姿を捜し求めたが、前回のような偶然の出会いはなかった。そして、僕は、フィルにさよならも言わずにロンドンを離れた。

あれ以来フィルとは会っていない。そして、もはやロンドンに魅力を感じない僕は、今後フィルと二度と会わない可能性は高い。でも、フィルのことを忘れたわけではない。

フィルの透明で、どこかもの悲しい歌声は、今も鮮明に思い出すことが出来る。そして、何よりもバスカーの優しさとかなしさ、バスカーとして生きることの喜びと悲しみを僕に教えてくれたのは、他ならぬフィルなのだから。