Patのこと 1

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時々、たまらなく不安になることがある。

それは、自分の将来に対してであり、このバスカーの旅が、果たして意味があるのか、ということにだ。実際、僕はもうそう若くはない。長期の旅行者に出会っても、そのほとんどは、僕よりも年下だ。何ものにもとらわれず、自由に生きていくというのは、別の観点からすれば、何の生産活動にも携わらす。ただ時間を浪費している、といえないでもない。そんなたまらない気持ちになったときに思い出す一人のバスカーがいる。

その冬、僕は、クリスマスシーズンに稼ぐため、スイスで演奏を続けていた。12月に入り、雪のちらつく日も多くなり、夜間の気温は、氷点下まで下がった。そんな中、野外での演奏は、寒いというよりも痛いという形容があたっているように思う。指先を切り落とした手袋をしているのだが、それでも、ギターの弦を押さえる左手の指も、ストロークをする右手の指も、最初痛みが走り、次第にその感覚がなくなってくる。そんなにまでして演奏するのは、このクリスマス前のシーズンが、バスカーにとって“稼ぎ時”であるからだ。だからこのような厳しいコンディションの中でも、演奏を続けるバスカーは、意外と多い。

僕はもっぱらスイスのチューリッヒに拠点を置いて、活動していたのだが、宿の関係で近郊のバーデンやルッツェルンなどにもでかけた。

その日は、美しい湖のほとりの町、ルッツェルンについて5日目だったと思う。

チューリッヒからここルッルェルンに移り、天候にも恵まれず、僕は、少しあせっていた。この街は、市の方針で、バスキングは、午後5時から10時までと決められており、このところ夜になると決まって雪がちらつくという天候で、思うようには稼げなかった。そこで、考えたあげく、駅構内で演奏を試みることにしたのだ。実際に演奏してみると、反応もなかなかで、心配していたポリスも何も言ってこなかった。

その日は、昼前にギターケースを抱えて、駅へと出掛けていった。すると、見知らぬ初老のバスカーが、ギターを弾きながら歌っていた。僕は、そのときまでに多くのバスカーを見てきたが、こんな年老いたバスカーを見たのは、はじめてだった。でも、僕のいつもの常として、声をかけることにした。

「ハーイ、調子はどう?」

「ああ、そんなに悪くはないさ、この天気のわりにはな。」

「よくルッツェルンで演奏しているの?」

「そうだな、時々来るよ。後、バーデン、ウィンターツゥルーやベルンでやっているよ。お前さんは?」

「僕は、チューリッヒがだいたいだよ。」

「チューリッヒは、稼げるかね?わしも行こうとは思っているんだが、機会がなくてね。」

「僕は、チューリッヒが一番だよ。バスカーが多くて、競争は激しいけど、確実に稼げるから。」

僕らは、バスキングの情報交換をした。15分くらい立ち話をしただろうか。やがて、彼は演奏を再開し、僕はギターを持ってその場を立ち去った。

その後、ルッツェルンで、その初老のバスカーと出会うことはなかった。3日ほどして、僕は再びチューリッヒに場所を移した。そして、僕のチューリッヒでの演奏がふたたび始まった。

チューリッヒに戻って何日目かの朝、僕は降り出した雪を避けるため、駅舎に入った。すると、どこからともなく、ギターの音が聞こえてきた。僕は、誰が演奏しているのだろうと思い、音のするほうに歩いていった。チューリッヒの巨大な駅舎の中で、先日ルッツェルンで会った初老のバスカーが演奏していた。僕が、声をかけると、彼も僕のことを覚えていたみたいで、愛想よく答えてくれた。

「今日は、どうだい?」

「いまいちだな。みんな足早に歩いていて、なかなか聴いてくれないよ。」

「そう、僕はこの場所では、演奏したことがないから、わからないけど。」

「それじゃ、お前さん、いつもどこで演奏しているのかね?」

「旧市街のレストランやパブのある通りでだよ。」

「もし、よかったら、後で教えてくれないかい?」

「ああ、かまわないよ。」

「それじゃ、わしは、ここであと30分演奏するから。」

「わかった。30分したら戻ってくるよ。」

「ところで、お前さんの名前は?」

「ああ、まだ言っていなかったね。僕は、トシ。日本人だ。」

「わしは、パット。アイルランドからだよ。」

「それじゃ、パット。また、あとで。」

「ありがとうよ、トシ。」

その後、僕は、パットを連れてチューリッヒの繁華街を一周した。通常、自分の持っている場所や時間などの情報は、バスカーにとってトップシークレットであり、他のバスカーには、めったなことでは、教えたりしないのであるが、このときは、パットが老人であったためか、あるいは、僕の気まぐれか、僕の知っているチューリッヒの情報をほとんどパットに教えてしまった。

再び駅に戻ってくると、パットは、お茶をご馳走すると言い出した。駅の近くにキャンピングカーを停めているので、そこに来ないかと誘ってくれた。僕としては、不平のあるはずもなく、パットの好意に甘えることにした。

駅の近くの国立博物館の駐車場にパットの車は、停まっていた。

チョコレート色で、運転席と後部の住居に別れた、旧式のキャンピングカー。たっぷり20年は、経っているようだ。軋みを立てて開いたドアから後部に入ると、狭いスペースにプロパンガスのコンロと、ベッド兼用の長いすがあり、その上に新聞、雑誌、ペーパーバックなどが散らかっていた。パットは、それを手際よく片付けると、僕の座る場所を作ってくれた。キャンピングカーの中は、ほとんど外と変わらないぐらい空気は冷えきっている。暖房の設備といったしゃれたものなど一切ないらしく、パットは、空き缶の中に入れた、大きなろうそくに、火をともした。それが、このキャンピングカーの唯一のぬくもりである。

「これでも、夜つけておくと、結構暖かいんだよ。」

パットは、言い訳をするように言った。

そして、パットは、イギリス流の食事、つまり、紅茶にビーンズ缶を温めたものにパンという、ご馳走を用意してくれた。ここスイスの地でも、やはりビーンズ缶をたんまりと買い込んでいるのをみて、僕は、思わず微笑んでしまった。そして、食事が終わってから、パットは体が温まるからといって、バカルディのビンとコーラを取り出して、僕に勧めてくれた。

僕らは、バカルディコークを片手に、午後の気ままな会話を楽しんだ。パットの語るところによると、彼はアイルランドの出身で、年齢は60歳だという。イギリスのマンチェスターのどこかの工場で働いていたのだが、7年前にその工場を辞めて、バスカーになったそうだ。どんな理由からかは、尋ねなかったが、彼の人生の中で大きな転換期であったことは確かだ。そして、驚いたことに、彼はそれ以前は、ほとんどギターを弾けなかったということだ。つまり、バスカーになぅてからギターを始めたということになる。

「わしは、ギターを歌もそんなに上手くはないさ。それは、自分でもわかっている。でも、わしは自分の音は持っている。それに、そいつは、そんなに捨てたもんでもないさ。味のあるサウンドさ。そうでなきゃ、多くの人が、わしのギターケースにコインを入れるはずがないじゃないか。」

話題は、今度は、彼の車についてになった。

「この車も、わしと一緒で、ずいぶんとくたびれてきてしまった。このポンコツは、50キロ以上のスピードは、いくらペダルを踏み込んでも出やしない。だから、夏場はクラクションの嵐にあってどうしようもない。その点冬場はいいさ。凍結や雪のため、みんなスピードを出せやしないから、このポンコツも冬場だけは、新車と変わらないのさ。」

「この後ろの部分を直そうかと思っているんだ。キッチンも少しいじくりたい。今さら新しい車なんてとても買えやしない。このポンコツに乗っているおかげで、わしはホテル代も要らないし、食事もここで出来るし、わしの唯一の我が家だ。でも、その分、人との出会いは少なくなるさ。お前さんは、いろんなところに行けばいいよ。大学なんかもいいんじゃないか。中にもぐりこんでしまえばいい。友達もきっとたくさんできるじゃろう。」

話は弾み、気がつくと、もう日はとっぷりと暮れていた。僕たちは、急いで出掛ける用意をし、それぞれのギターを持って、驚くほど気温の下がったチューリッヒの町へ歩きだした。でも、車の中で飲んだ、バカルディコークが効いていて、それほど寒さは感じなかった。僕たちは、それぞれに場所を見つけると、それぞれのスタイルでバスキングを始めた。