儲かりすぎてストップ

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バスカーにとっては、たまったコインをどうするのか、というのも悩みの種だ。

今はスイスに定住しているので、自分の銀号口座に入金すればいいだけなので問題はないが、旅をしていたころは、大変だった。特にヨーロッパは、そのころ共通通貨のユーロは存在せず、行く国々でそれぞれ違った通貨を使っていたので、ビニール袋に種分けして持ち歩いていた。おかげで、僕のバックパックはずっしりと重くて移動が大変だった。銀行や郵便局によっては、小銭を両替してくれないところが多くて困ったことは、数知れない。

しかし、いくらコインが重くでも”稼げるときに稼げるだけ稼ぐ”というバスカーの鉄則はいつも守っていた。コインが入りすぎてやめたことは、たった一度だけしかない。

結婚する前、スイスの滞在許可を持っていなかったので、オフィシャルでは、3ヶ月ごとにスイスを出国しなければならなかった。もちろん、きっちりと守っていたわけではないが、時々律儀に出国スタンプを求めてスイス国外に行っていた。

そのときは、スペインのアンダルシア地方に向かうことにした。

フラメンコミュージックに興味が湧いたのとスペイン語をもう一度習いなおすためだった。そして、セビリアという町に2ヶ月近く滞在していた。ホームステイをしながらスペイン語の語学学校に通ったり、そこに滞在する日本人と知り合いになったり楽しいときを過ごした。南スペインのアンダルシアといえば海を越えれば、そこはもうアフリカだ。せっかくだから、スペイン滞在の最後にジブラルタル海峡を渡ってモロッコに行こうと思った。一方そのときセビリアでは、スペイン皇室の結婚式がこの町であると騒いでいた。何でも、スペイン中から人が集まり、すごい騒ぎになるだろうとうわさしていた。当然人が多く集まるということは、バスキングで稼げる可能性があるということだ。僕は、モロッコからの帰ってくる日程を何とかこの日に合わせることに決心した。

モロッコは英語がつうじず、アラビア語はもちろんフランス語も話せない僕はたいへんだった。それでも、アフリカ大陸での僕の初バスキングを大道芸のメッカといわれているマラケシュ広場で行った。とにかく、モロッコの行程を終えてセビリアに何とか、そのスペイン皇室の結婚式のある日に戻ってきた。このバスと船を乗り継いでヨーロッパに戻り、休憩なしでセビリアまで再びバスで戻るというのは、かなりきつく、たどり着いた時には、すっかり疲れてしまった。とりあえず、安宿に荷物を置いて、街中に出てみた。それほど苦労してこの日にセビリアに戻ってきたというのに、街中は人が多いどころか、まったくいつもと様子が変わらない。これはどうしたものかと思ったのだが、まあ、いまさらどうしようもない。宿で一眠りしてから、夜にもう一度出直すことにした。

さて、夜の9時ぐらいだろうか再び街中に出てくると、なんと歩けないぐらいの人また人。ヨーロッパでこんな人ごみは、ミュンヘンのオクトーバーフェスティバル以来だ。さっきまでこの人たちはどこにいたのだろかと不思議に思ったぐらいだ。とにかく、みんな夜のそぞろ歩きを楽しんでいる様子。もうすでに店舗はしまっているので、ただ散歩を楽しんでいるだけ。

セビリアのバスキングは、禁止されていて、ポリスとのトラブルは毎日のようにあった。

でも、今夜は、人が多すぎてポリスもどう仕様もできないであろう。それに、バスカーを取り締まるよりもっと重要なことがあるだろから、細かいことは無視するであろう。そんな、勝手な解釈をして演奏場所探しに入った。人が道いっぱいにあふれているものの、店舗のショウウィンドーが少しおくに入り込んでいて、ギターを持って立てる場所を見つけた。目の前を人々が流れていく、まるで川岸に立っているようだ。もし、僕の音楽を聴きたい人がいたとしても、立ち止まることは不可能だ。こんな状況でコインが入るなんて、普通の人には想像もつかないだろうが、僕は、カナダで、ベースボールの試合の終了後にスタジアムの出口付近で演奏して稼いだことがある。大きな柱の前に立ち、たぶん何千人という人が足早に歩いてくるのに向かって歌った。そのときに比べれば、今夜は、人々はゆっくりと夜の散歩を楽しんでいるという状態なので問題はない。

案の定、僕が演奏を始めると、コインが面白いように入りだした。他に何のリクレーションもない状態の中、夜のセビリアに僕のサウンドだけが鳴り渡っている。道路は、人でいっぱいなので、とても立ち止まることはできず、人々は僕の前をゆっくりと通り過ぎていくだけなのだが、たぶん僕の前に来る以前にコインを用意して、箱の中に投げ入れてくれる。ぶっ続けで何時間歌い続けたことだろう。2時間、3時間?幾度かやめようと思ったのだが、人通りは切れることなく、コインも入り続ける。声もかれてきて、ふとコインの箱を見ると、ほとんど上のほうまで来ている。この箱がいっぱいになると、結構持ち歩くのが大変な重さになる。ためしに、少し演奏をとめて持ち上げてみると、ずしりと重い。あさってにはスイスに帰ることもあり、このコインを両替するのが、大変なことを思い出し、演奏をストップすることにした。そのたとショルダーバックに入れたコインの重みを肩に感じながら、ギターをさげて宿に戻った。“してやったり”という満足感を感じながら,その夜はぐっすりと眠った。

翌日、僕は楽器屋に行き、昨夜のコインでフラメンコギターを手に入れた。

そして、その翌日には、スイスに向けて列車に飛び乗っていた。両手に2本のギターを持ちながら。
ほんのたまにだが、高額紙幣をもらうこともある。スイスでは、10フラン札、20フラン札まではよくもらう、でも、コインがずっしりとたまる感覚はまたそれとは別な感慨がある。

以前、エクアドルの首都、キトで演奏したことがある。名前は忘れたが、町の中央に公園があり、そこでギターケースを開いて演奏を開始した。瞬く間に大勢の人が僕の周りに集まりだした。すると地元の若者が僕のギターケースを持って集まった人からお金を集めてくれた。エクアドルでコインを使用していたのかどうかはもう覚えていないが、とにかく集まったのは紙幣のみ。ギターケースいっぱいになった。これで2,3日は遊んで暮らせるぞと喜んだのだが、宿に帰ってから数えてみると、ホテル代と食費を払うとあとはあまり残らない金額だった。

稼げるときのバスキングほど快いものはない。ミュージシャンとしてのプライドと自分の財布を同時に満たしてくれるのだから。コンサートでいくらスタンディングオベーションをしてもらったとしても、現金を投げ入れてもらう感覚にはかなわないのではないだろうか。

ほめ言葉や、拍手は本心でなくてもできるが、自腹を切ってお金を出すのは、なかなかできないのが人間だから。