バスカー七変化

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僕が子供だったころ、変身ヒーローもののテレビがはやっていた。

ストーリーはいつも同じようなもので、悪者と戦うために普通の人間が、正義のヒーローに変わるわけだが、中には、そのヒーロー自体の姿がいろいろ変化するものもあった。七変化というやつだ。
ここ5,6年の間に僕のバスキングを見た人は、僕のことを二胡の演奏家、少なくともアジア音楽を専門としているミュージシャンと認識していることと思う。僕をその以前から知っている方、あるいはこのコラムを読んでいただいている人には、僕がギターで歌っていたのをご存知だろう。僕は、この20年間でいろいろ自分のバスキングのスタイルを変化させてきた。

もちろん、僕以外のバスカーも長くやっていれば、選曲やそのスタイルに変化があって当然だと思うが、僕の場合、楽器そのもの、音楽のジャンルが大きく変化してきた。

その遍歴を少し振り返ってみたいと思う。

まず、僕の最初のバスキングのスタイルは、シンプルなギターの弾き語りだった。

“アコースティックギター1本と歌”それだけだった。レパートリーは、ビートルズが中心で、そのほかのバンドの曲も歌っていたが、そのころは英語の曲がほとんどだった。しばらくして、ハーモニカをホルダーにつけて首にかけて間奏などで吹きだした。そして、何かリズムがほしいということで、子供用のミッキーマウスの絵の書いた小さなタンバリンを左足にくくりつけた。これは、普通の大きさのタンバリンでは、持ち運びに不便だからだ。このスタイルで長い間やっていた。旅のころはずっとこうだった。そのとき、僕が思っていたのは、“生音でどこまでやれるか”ということだ。マイクやアンプは絶対使わない、そのためギターには太目の弦を張り、とにかく大声で歌った。

そのあとスイスに友人ができて、妻とも知り合い、半分スイスに定住のような形になってきた。ふとしたきっかけから、ギターのヘッドにマリオネットをくっつけることを思いついた。それもただの人形ではおもしろくない。僕の姿に似せた人形”リトル トシ”を作った。僕は、ギターを弾き、ハーモニカを吹き、歌いながら、このマリオネットを曲のリズムに合わせて動かし踊らせた。そして、曲の合間には、子供のところまで人形を歩かせて、握手させたり、挨拶させたりしていた。このころは、僕の演奏はいつも小さな子供たちに囲まれていた。

また、そのバリエーションとして、クリスマスシーズンには、”リトルサンタ”をつくった。このサンタの人形をギターにくっつけて、クリスマスソングを日本語で歌っていた。

そのあと、今度は本格的なマリオネットのパフォーマンスを試みる決心をした。

以前、知り合いだった旧ユーゴスラビアの凄腕の人形遣いがいて、よく彼のパフォーマンスを眺めていた。そのころから漠然とではあるが、マリオネットに興味があった。そのこともあって、ピアノを弾くマリオネットというアイデアは、最初からできあがっていた。でも、ただのマリオネットがピアノを弾くのではおもしろくない。そこで考え出したのは、モーツアルト。モーツアルトのマリオネットが、小さなピアノでコンサートをする。このアイデアを現実化するため図書館でモーツアルトの顔をスケッチし、衣装を縫うのにミシンを購入し、試行錯誤しながらマリオネットを作った。小さなピアノも発砲スチロールで作って、その中にスピーカーを入れてフットスイッチでコントロールできるようにした。でも、本当に苦労したのは、自分が音楽を演奏しないというのに慣れることだ。これは、本当にストレスがたまった。ミュージシャンであることをやめてお金のためにパフォーマンスをするというのは、精神的にきつかった。でも、パフォーマンス自体は、成功でモーツアルトというキャラクターのため、子供からお年寄りまで、受けがよかった。モーツアルトのピアノ曲をつかい、マリオネットの右手のポジションを音に合わせて動かすだけなのだが、“本当は弾いていないよね”と真剣に聞いてくる人が結構多くてびっくりした。そんなことは、わかりきったことであるはずなのに。ただ、このパフォーマンスの欠点は、僕の左手を同じ位置に固定して動かさないことだ。同じ位置でマリオネットを数時間支え続けるのは、派手に人形をコントロールするのよりもよっぽど疲れる。

その点を反省して、マリオネット第二段は、もっと動きのあるものにしようと思った。最初は他の楽器を使ったマリオネットにしようかと思ったのだが、もっとインパクトがありオリジナルなものということで、いろいろ考えてたどり着いたのが、チャーリーチャップリン。チャーリーがチャップリンの映画の音楽に合わせてタップダンスを踊るというのがアイデア。またまた、図書館で写真を見て、フィルムを借りてきて動きを研究し、ミシンで服を縫った。本当は、左手のステッキをまわせるようにしたかったのだが、これは残念ながら、実現しなかった。とはいえ、マリオネットの動きもより複雑にコントロールできるように改良し、ちょっとした、お芝居風な動きも可能になっった。スイスには、晩年チャップリンが住んでいたこともあり、特にお年寄りからの反応は非常によかった。また、モーツアルトに比べて、動きが派手で、つまり僕もいろいろと動いていいので、やっていてこちらのほうが楽しく楽だった。

でも、“ミュージシャンでない”というストレスは同じだ。やはり、音楽を奏でるほうがいい。再びミュージシャンにカムバック。でも、以前と同じスタイルに戻るのでは、芸がない。このときは、もはや完全に旅の身の上ではなく、事実上スイスに住んでいるようなもの。機材も問題なく使える。そこで、以前あれほどこだわっていたアコースティックを止めることにして、今度は、ナイロン弦のギターでアンプを通して弾いてみることにした。クラッシックギターのスタンダードナンバーや映画音楽、ポップスの曲をレパートリーにした。僕が歌っていた時期、顔見知りのクラッシックギターのバスカーが、”お前、ずっと歌い続けていて疲れないのか?”とよく言っていたが、いざ自分が座ってギターを弾く(歌を歌わない)というスタイルに変わって、確かに疲れないことに気づかされた。歌うということは、ある意味で重労働だ。楽器を奏でるのは、ハッキリといって小手先の作業に過ぎない。もちろん、たまに歌いたいという欲求は、沸いてくるが、そのときは歌えばいいだけなのでどうということはない。このときは、ほとんどの人から南米からのミュージシャンと思われていたようだ、いつもスペイン語で話しかけられていた。

子供が生まれて、妻が働いていたので、必然的に僕が、家事育児を担当することになった。

家にいる時間が増えたので、何か新しい楽器をためしたいと思って考えたのが、中国の民族楽器である二胡である。この楽器とは、オーストラリアのシドニーのサーキュラーキーでのバスキングで、横に並んで戦ったことがある。1対1の生音でのバスキングの戦いではほとんど負けないにもかかわらず、このときは苦戦した。そのとき小さいのに馬鹿でかい音がして、いい音色、しかも東洋の楽器というのが、強く胸の中に残った。いつかバスキングで、東洋の楽器を弾くならあれしかないと。

尺八は、そのずっと以前から持っていたのだが、吹くことはあまりなかった。アジアの音楽ということで、再び手にした。沖縄三線もずいぶん前に買った楽器だが、バスキングでは使っていない。三味線は、気が向けばバスキングでも弾くことがある。まあ、総称して現在の僕のバスキングは、アジアスタイルといえるだろう。

これに加えて、春休み、夏休みの正志との二人での演奏。来春からは、妻を交えての3人での家族でのバスキングも増えそうだ。そのほかにも、まだ実現はしていないが、ほかのジャンル以外のアーティストと共同でのパフォーマンスも考えている。楽器のほうも、ハワイのクサフォン、オカリナ、みんみん、マンドリン、アコーディオン変則チューニングでのスライドラップギターとまだまだ、試してみたものがあるし、ループマシンを使ったパフォーマンスもおもしろそうだ。これからも僕のバスキングでの変身は、まだ続いていくかもわからない。

僕のバスキングのスタイルがころころ変わるので、知り合いのバスカーからは、よく驚いたり、あきれたりされていたが、このところ久しぶりに会ったバスカーなどからは、”おい、トシ。今度は何の楽器を演奏しているんだい?”とごく普通にたずねられるようになった。

一日に複数の異なるバスキングをするのもおもしろいと思うのだが、実際に行うには、楽器を持ち運ぶのが大変だ。バスカー七変化は、昔の正義のヒーローのようにすぐに変身はできないようである。