PATのこと 2

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翌日、11時半に駅の近くのパットが指定した場所に出掛けていった。

チューリッヒなどの大都市となると、車の駐車の取り締まりも厳しく、なかなかフリーパーキングの場所は見つからないとパットは言っていた。その場所は、彼がようやく見つけたところだそうだ。

例のチョコレート色のキャンピングカーを見つけるまでに時間は、そう掛からなかった。そいつは、ずんぐりむっくりとしたボディーを小さくして、道の片隅にひっそりと停まっていた。二、三度ノックしてみたが、返事はない。約束の12時までには、まだ時間があるから、パットは、どこかで朝の演奏をしているのであろう。

僕は、もう一度駅に引き返すと、ローストチキン1羽と焼きたてのパンを買った。そして12時過ぎに再びチョコレート色のキャンピングカーのドアをノックすると、今度は返事が返ってきた。

「やあ、トシ。入りな。」

「ありがとう、朝から歌っていたんだろう。ついさっき来たときにはいなかったよ。それで、今朝はどうだったんだい?」

「どうもいけないな。駅前通りで最初はやったんだが、全然駄目でな。そのあと、昨日と同じ駅の中でやると、まあ、コインが入るには入ったが、それほどでもない。やっぱりわしには、小さい街が、合っているみたいだ。」
「そう、でも朝の時間帯だからじゃあないかな。皆、朝は通勤で急いでいるだろう。」

「わしは、いつも朝、演奏しているんじゃ。年寄りは、早起きだからな。それにお前さんみたいに、真夜中に演奏をするなんて、この年ではちょっと無理だからな。朝の時間もそう捨てたものではないさ。小さな町では、“おはよう”と声をかけながらコインを入れてくれる。」

「ふうん。朝の時間ね。僕には、朝から歌うなんて、とても出来ないよ。」

「まあ、人それぞれさ。」

「そうだね。ああ、パット、今日はチキンとパンを買ってきたよ。チキンは食べるだろう?」

「もちろんだとも。それじゃあ、昨日のビーンズと一緒に食べようか。」

パットは、いそいそと例のビーンズ缶を取り出すと、コンロにかけて、温めだした。昨日と違い、チキンがついて、ぐっと豪華な昼食だ。食事のあとは、これも昨日同様、バカルディコーク。

そして、二人の会話は、始まった。今日は、パットが僕のことを尋ねてきた。

「ところでトシ、バスカーになる前は、日本で何をしていたんだい?」

「働いていたよ。大学を出てから、日本の学生がみんな就職するように僕も就職した。そこで4年間働いた、そして辞めたんだ。」

「お前さんは、働くのがいやになって辞めたのかい?」

「いや、働くことは、嫌じゃない。でも、一生会社で働いて、それで終わるのなんて、耐えられなくなったんだよ。」

「わしも、働くのは、嫌じゃあない。でも、人に使われるというのが、性に合わないんだ。わしの場合は、それで辞めたというところかな。」

「でも、僕は、時々将来のことを考えると、たまらなく不安になるよ。この先、どうやって生きていけばいいのだろうかって。僕ももうそんなに若くはないし、僕の日本の友人たちは、みんな働いていて、家庭を持っているやつも少なくない。なんだか、自分ひとりが、取り残されていくようで。」

「それはどうかな。お前さんは、自分は若くないと思っているようだが、わしから見れば、充分に若いさ。わしは、7年前に働くのを辞めて、バスカーを始めた。それから今まで、1度だってそのことを後悔したことはない。わしは、バスカーになって、生きることの素晴らしさを感じ始めたんじゃ。自由に自分の思うままに生きていくことが出来るというのが、どんなに素晴らしいものか。好きなときに、好きな場所に行って歌えばいいのだからな。だから、わしはバスカーになったことで悔やんだことはないよ。ただ、惜しむのは、なぜもっと若いときにその決断をしなかったのだろうということじゃ。わしは、このとおり年寄りだから、無理はきかない。それに、新しい友人もなかなか出来ない。その点、トシ、お前は、大丈夫じゃないか。お前さんなら、どこへいったってやっていけるさ。正直なところ、わしは、お前さんがちょっぴり羨ましいよ。」

「そうかな?」

「そうさ。ギターを持って、世界中で演奏すればいいんだ。そして、もし、いつの日にか日本に帰りたくなったら、そのときは、帰ればいいさ。人生に遅すぎるなんてことは、ないんだから。このわしが、何よりもその証拠さ。」
僕は、パットのこの言葉を鵜呑みにしたわけではない。僕の感じていた不安は、それぐらいのことで消えてしまうたぐいのものではなかった。でも、確かにこのパットの言葉は、僕の気持ちを幾分か、軽くしてくれたのは事実だ。

「話は、変わるが、先日演奏しているときに、若い娘が、アンケートに答えてくれと言ってきたんじゃ。何でも、“クリスマスイブに、どこで何をしていますか?”という質問だ。そこでわしは、こういった。”クリスマスイブは、どこかの星の見える丘に登って、夜空の星を眺めている“とな。そしたら、どうじゃ。その娘は、”それは、寂しいことですね。“だって。まったく何にもわかっておらん。クリスマスの夜に、星を眺めながら一人でお祈りをする。どこが寂しいのだ。クリスマスの夜は、家族や仲間と騒がなくてはならないとでも思っているのだろう。自分の好きな場所で、自由な時間の持てることの素晴らしさを、わかっていないのじゃ。」
その夜も、僕たちは、それぞれのスタイルで、バスキングを行った。

翌日、僕が同じ場所に行ってみると、そのチョコレート色のキャンピングカーの姿は、もうなかった。パットは、言っていたように、ベルンにでも向かったのだろう。
その後、僕は、クリスマスが終わるまでチューリッヒで演奏を続けた。パットが、どこかの丘の上で星を眺めていると言っていたクリスマスイブも、深夜まで歌い続けた。そして、25日の夜、バンコクへの飛行機に乗るために夜行列車でローマへと向かった。
今年の冬もスイスに戻るつもりだ。そして、少なくてもクリスマスまでは、歌い続けることになるだろう。果たして、パットとは、スイスのどこかの街で、再会するかもわからないし、しないかもしれない。
けれど、クリスマスの夜は、今年もパットは、丘の上で星を眺めながら、一人お祈りをしているだろうし、僕は、どのかの街角でジョンレノンのハッピークリスマスを歌っていることだろう。

So this is X’mas and what have you done?

Another year is over and new one just begun

And so this is X’mas I hope you have fun

The near one and the dear one the old and the young

A very merry X’mas and a happy new year

Let’s hope it’s a good one without any fear