日本人がなぜ二胡を弾くのか?

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演奏をしていて、よく中国人に間違われる。

アジア人が、中国の民族楽器を演奏しているのだから、これは当たり前のことなのだが、それでも気まずい思いをすることがある。まず、どこかの語学学校で中国語を勉強したのであろうスイス人が、勇気を振り絞って中国語で話しかけてくれる時、僕が「中国語は話せない。」と言うと、がっかりした表情が返ってくる。それにも増して、もっと困るのが、中国人の人が、同郷の者を励まそうと話しかけてくれる時だ。そんな時は、丁寧に自分が日本人であることを告げるのだが、ある種の後ろめたさを感じる。この素晴しい中国の民族楽器を日本人の僕が奏でていることを。

それでは、何ゆえ日本人である僕が、中国の民族楽器である二胡を弾くのか? 一言で言えば、二胡の音色が好きだからだ。哀愁を帯びた二胡の響きは、人間の肉声に最も近い音を出せる楽器と言われている。演奏者の立場からは、その演奏性の素晴らしさに魅力を感じる。特にビブラートのかけやすさ、ポルタメントの効果は、まさに自分の心を音に変換する時にこれ以上の楽器はないのではないかと思う。そしてバスキング(大道芸)に関しては、小型軽量で、その割に音量が出る。座って、膝の上に置くという体に無理のない姿勢で弾くので、長時間の演奏でも疲れない。弦の張力もそれほど強くないので、左手の指への負担も少ない。長時間での演奏で痛くなるところと言えば、弓を持つ右手だが、それも1日5,6時間以上演奏したときで、3時間程度ならなんともない。その上、寒い冬場には、なんと両手に手袋をはめたままでも演奏が可能だ。そんな二胡は間違いなくバスキングでの最強の楽器の1つだと僕は確信している。

但し、この楽器にも弱点がないわけではない。

先に小型軽量と書いたが、長さがある。三味線のように折りたたむことは不可能なので、二胡だけを持ち歩く場合はいいのだが、三味線やギターと一緒に持ち運ぶのは、結構大変だ。また、素材として蛇皮を使っているので、温度、湿度の変化に弱い。そして、この蛇が、ワシントン条約の保護動物に指定されているため、簡単には輸出入が出来ない。単音メロディー楽器と言う特性上、歌の伴奏楽器としては、使いにくい。つまり、二胡を弾きながら歌う、と言うのはユニゾンでない限りは難しい。それと少し重なることだが、伴奏なしでソロとして長時間のバスキングは、つらい。まあ、他の楽器同様、二胡にも長所と短所があると言うことだ。

「それじゃあ、日本には、二胡のような楽器はないのか?」と言う質問も良く受ける。答えは、イエス。胡弓と言う擦弦楽器が存在する。形は、三味線をちいさくした様なもので、もちろん弓で弾く。江戸時代の頃は、三曲において、尺八の変わりに三味線、筝とのアンサンブルで、メロディーパートを担当していたそうだ。僕自身も実際にはこの楽器を見たことはなく、ビデオでみただけだ。たぶん、日本では、和楽器である胡弓よりもむしろ二胡のほうが一般的ではないだろうか。

僕にとっての二胡は、多くの楽器の中の一つに過ぎない。二胡一筋に演奏されている方には、非常に申し訳ないが、その特性に合う音楽、楽曲のなかで二胡を選び演奏していると言うのが、本当のところだ。
最後に余談になるが、着物を着ての二胡の演奏は、袖が邪魔になって、たすきをかけない限りは弾けたものではない。こうゆう衣類と楽器でも、適合性がちゃんとあると言うのは、なんだか少し感動してしまう。

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