ピラミッド登頂

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スイスで結婚して居住許可をもらうまでは、ヨーロッパ以外の出入国スタンプをもらうために何回かスイスから旅をしたことがある。

その何回目かに目的地にエジプトを選んだ理由は、はっきりとは覚えていないのだが、たぶん飛行機の値段がちょうどお手頃だったからだと思う。特にエジプトに行ってみたかったわけではないのだが、その時は距離的にもヨーロッパからそんなに離れていなし、観光国なので旅もしやすいだろうとでも考えたのだろう。

とにかくチューリッヒからカイロへのチケットを購入した。最安値のものを選んだため、カイロへの到着時間は深夜だった。とりあえず空港で朝まで過ごし、翌朝日本人のツーリストを見つけて声をかけ、彼のガイドブックを頼りに市の中心部まで出て、カイロの日本人旅行者の溜まり場になっているというゲストハウスに宿を決めた。

そこにあった日本語のガイドブックをもらい、それをもとに今回の1ヶ月ほどのエジブトでの旅の予定を立てた。その宿は日本人宿とあっただけに宿泊客のほとんどが日本人のバックパッカー達で、その頃インターネットもまだなくて日本語に飢えていた僕にとってはすごく居心地が良かった。

どういう経緯でギザのピラミッドに登ろうということになったのか覚えていない。

ここに来るまで僕はピラミッドに登れる(?)なんて思ってもいなかったので、たぶん同室の誰かが声をあげたのだと思う。カイロ到着早々ピラミッドの普通の観光は昼間に済ませていた。内部の見学ツアーにも参加していたので、「もうピラミッドはいいや」と思っていたのだが、頂上に登るとなると話は別だ。

調べてみると今現在は観光客の転落死亡事故があり、その後取り締まりが厳しくなり登頂するのは難しいらしいのだが、この頃はガイドブックにさえ体験談として「ギザのピラミッドに登り方」というものが書かれてあった。たぶん多くの旅行者が不法に登頂していたものと思われる。

そのガイドブックに書かれていた手順というのは、深夜にタクシーでピラミッド近くまで行き、立ち入り禁止になっている区間を走って突破し、後はピラミッドの石を頂上に向けてひたすらよじ登る。夜明け前に開始して、頂上にてご来光を見てから降りるのがおすすめとあり、万一降りる時警察に見つかるとやばいので、賄賂で渡す10ドル札を忘れないようと注意書きがあった。パスポートは宿に置いておく方がいいという細かいアドバイスまであった。

タクシー代を割り勘にするためもあり同志を集めて4人で挑戦することになった。もし僕一人だったらこんな危険なこと(警察に捕まるという意味で)をやる気にはならなかったと思うが、先も書いたように日本語を話す仲間がいるという安堵感もあり僕も参加することにした。

たぶん深夜の2時か3時に起き出して4人で宿を出たのだと思う。ガイドブックの手順通りタクシーを捕まえてピラミッドの近くまで行ってもらい、後は徒歩でピラミッドにたどり着いた。

ピラミッドの石はそれぞれが約1メートルぐらいの高さで、さほど登るのに苦労はしない。深夜なので周りは見えず、暗闇の中をひたすら上を目指して登り続けた。時間にして20分ぐらいだったと思うが、はっきりとは覚えていない。息を切らして登ったという記憶はないので、大したことはなかったのだろう。

頂上についてみると先客がいた。

二人の韓国人だった。韓国のガイドブックにもピラミッドの登り方の記載があるのだろうか。彼らは結構早くに到着したとのことで既に数時間を何もないピラミッド頂上で過ごしていて、寒い寒いとぼやいていた。

ピラミッドのテッペンは、結構広くて、それぞれの場所に腰を下ろして日の出を待っていた。太陽が顔を覗かすと各人記念の写真を撮り、しばらくは景色を楽しんでいた。隣のピラミッドを見下ろす角度で目にできるのは、たぶんここからならではだ。

あまり遅くなって人が来るとまずいので、来たところから下に降りることにした。今度は明るいので、周りがよく見える。僕は全く問題がなかったのだが、一緒に登った日本人の大学生が、高所恐怖症気味で、すごく怖がっていた。

幸いにも下には誰もおらず、用意しておいた賄賂のアメリカドルは使わなくて済んだ。その後どうやって宿に帰ったのかは、全く記憶にない。

その後、僕のエジブトの旅は、ビビりながらアレキサンドリアの路上で演奏して自分のエジブトでの課題を果たし、オンボロバスで24時間かかるオアシスで10日間滞在し、ルクソールの遺跡見学、紅海でスキューババイビングのライセンスを習得すると続いていった。

この時以前のバスカーの旅とは違い、演奏を通じての人との出会いはなかったのだが、普通のバックパッカーとしての旅であり、久々のバカンスを楽しめた。

今となってはいい思い出である。