息子の独立

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息子が3月の下旬で20歳になった。

昨年の夏から正式に働き出し経済的には既に自立していて、そろそろ一人暮らしをしようかという話は以前からしていたのだが、3月に入り急にアパートが見つかり引っ越しするまで1ヶ月もないまま慌てて準備することとなった。

息子が自分で決めたアパートはBiel の旧市街にあり、築数百年というものだ。壁の一部は文化財に指定されていて釘を打つこともできないそうだ。非常にユニークな間取りになっていて、住む人を選ぶ物件だが、息子は街のど真ん中という立地を含めて気に入っているので僕達がとやかくいうことではない。

息子のバンド仲間が引っ越しの手伝いに来てくれて、手際よく数時間で完了した。知り合いから子供が独立して寂しく感じないかとよく尋ねられるのだが、僕達のところからあまり離れておらず、特にいつも買い物に行くスーパーのすぐ前に住むことになるので、ほとんど以前と変わらない感じだ。

とはいえ僕達にとってはこれで子育ての終了となる。

まさか二十歳で手がかからなくなるとは予想していなかったのだが、子育ての責任が無くなり気分的に随分と軽くなったと感じる。僕達家族は子育てに関しては、妻と僕でほぼ半々な感じで行ってきた。特に幼少期はどちらかといえば僕がメインだった。

育児から解放されて思うのは、子育ての中で色々な迷いがあり、試行錯誤しながら自分達でこれがベストということを選択してきたつもりだが、そんなことは結局どうでも良かったのではないかということだ。当たり前といえば当たり前なのだが、子供は親の思い通りには育たず、自分の意志で人生を決めていく。それの下地というか無意識の部分に親の影響があるのだろうが、親の意見を素直に受け取る場合もあれば、それを反面教師とする場合もあるので、そもそも結果がどう出るのかはわからない。

例えば、僕達の場合「読書」というものに力を入れたつもりだ。

幼少期は毎晩欠かさず日本語、ドイツ語の本を読み聞かせをしていた。その後も本の話題や作家の話など意識的にしてきたつもりだ。同年代の友人と比べると息子は本を読む方だと思うが、読書が趣味とはならなかったようだ。

「音楽」も幼稚園の時から一緒に演奏してきた。

こちらは、今の息子の生活にバンド活動が重要な位置を占めているので、直接影響があったと言えるのだが、もし僕と一緒に音楽をしていなくても自分で始めたのではないかと考えると意味があったのか分からなくなる。楽器のテクニック、演奏の経験という点では明らかにプラスだと思うが、親の意向で音楽を始めたのではないかというジレンマは残るのではないか?

現にここ数年僕と息子は一つ屋根の下に住んでいて、お互い毎日楽器を弾いているのにもかかわらず一緒に演奏することはほとんど無かった。ミュージシャンの友人が遊びにきたり、ビデオのプロジェクトで一緒に弾いただけだ。息子の中で音楽に関しては少し父親である僕との間にわだかまりがあるように感じる。

まあ今更何を考えても仕方がないのだが、結局のところ子供が自立して、親自身が子育てで「色々あったがまあ楽しかったな」と思えればそれで良く、それが全てではないだろうか。

今後は親子という関係から卒業して人間として息子と対等に付き合っていければと思う。