パリの洗脳プログラム

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初めてのパリでのはなし。

その年ロンドンからバスとフェリーを乗り継いでパリに到着したものの、フランス語をまったく話せない僕は,観光名所を訪れてしまうと、そのあとは昼間はパリの街をあちこちをあてもなくほっつき歩いていた。宿はサンミシェルにある安ホテルだった。安さにつられて決めたホテル、じめじめした薄汚い部屋で,なんとかもう少しましなところに変わりたかったのだが,それも面倒なのでもう1週間近くもここにいる。

そんなある日の午後,僕がいつものようにパリの街を歩いていると、
「こんにちは,日本人の方ですか?」と日本語で声をかけられた。驚いて振り返ってみると30過ぎの地味な感じのほっそりした日本人女性が立っていた。「どれぐらいパリにいるのか?」とか「どこに泊まっているのか?」とか月並みな会話の後,彼女は自分はキリスト教の教会関係のものだが、この近くにその教会の事務所があるのでお茶でも飲みながら話しをしないか?と尋ねてきた。

これが日本でのことだったら僕はろくに話しも聞かずに、すたこら歩いていったと思う。でも,この頃はまだインターネットなる便利なものもなく,日本語に接する機会がほとんどなかったので、僕は日本を出てからは常に日本語に飢えている状態だった。しかも僕には昼間は特にやることもないし,急ぐこともない。せっかくお茶をごちそうしてくれると言っているのだからなにも断ることはない。まあ,キリスト教の布教活動かなにかだろうが,話しを聞くだけならかまわないと判断した。

大通りから脇に入り5分ぐらい歩くと,彼女はここがその事務所だという。教会を勝手にイメージしていたのだが,普通の何の変哲もない建物で、なんか拍子抜けしてしまった。そこの一室に案内され,冷たい飲み物とビスケットなどを出されたと思う。まずは,とりとめもない会話から始まり,僕の宗教観へと話しは進んでいった。僕の実家は浄土真宗に属していて,父親は神道も信仰していたようだが,僕自身は真剣に仏教も神道も信じているわけではなく,本当のところは無宗教だと説明した。そのうち彼女は,私ではあまりうまく私たちの信仰を説明できないので,ちょうど私ちの信仰を説明した日本語のビデオがあるのでそれを見てみないか?と尋ねてきた。

面倒だなと思い「どれぐらいの長さですか?」と聞くと1時間ぐらいだという。どうせやることもないので,1時間ならとまあ見てみることにした。
その頃は,まだDVDなるものはない時代。ビデオデッキにビデオを入れて、ごっついテレビで見る。部屋には僕一人きり。そのビデオは,まずは聖書のおおざっぱな説明から始まった。講師役の人が黒板の前で話しだす。まあ,学校の授業みたいだ。ただ,時折凝った画像や効果音楽なども挿入されていて、なかなかお金をかけて作ってある。結局,1巻目のビデオは、軽いイントロダクションのようなもので,この宗教団体がどうゆうものであるかの具体的な説明はいっさいなかった。

ビデオが終わると再び先ほどの女性が現れ,感想などを聞かれた。まあ,感想と言っても内容が聖書の説明みたいなものだったのでキリスト教全般について話し合ったと思う。彼女は,このビデオは十数巻(はっきりの数は覚えていない)あるんだけれど,見てみないかという。そんなにいっぱい見るのはさすがにうんざりなので断ると,毎日少しずつ見ればいいという。それに,もしビデオを見るなら宿の方もなんとか見つけてあげれるかもわからないという。先に書いたようになんとかあのボロホテルから脱出したかったので,僕としてはこれは断れない提案だった。いずれにせよ僕に昼間の予定はないので,逆にいえばいい時間つぶしになるのではないか,と思ってしまった。明日の午後ここにまた来て欲しいと言われて,僕はその事務所をあとにした。
このときも夜は毎晩ギターを持ってバスキングに出かけていた。パリでのバスキングの様子は,以前にコラムで書いたことがある。

https://www.toshi-miyoshi.com/2010/10/08/165025119-html/
 

翌日、約束の時間に事務所に行ってみると昨日の女性が満面の笑みで迎えてくれた。正直なところ僕が本当にもどって来るとは思っていなかったらしい,昨日と同じように一人でビデオに向かう。ビデオを見終わってから,彼女がフランス支部には全巻の日本語のビデオが揃っていないからドイツ支部から取り寄せるという。僕にとってはどうでもいいことなのだが。
でも、そんなに手間をかけて後で失望さすのも悪いので、「たぶんビデオを全部見たところで僕の宗教観が変わることはありませんよ。」と告げておいた。帰る前に宿泊できるところの話しはどうなったか?と尋ねてみると、彼女はこのあと上司に話してみるという。

翌日再び事務所を訪れると,フランス支部長のアパートに信者のための簡易宿泊室があり,ビデオを見終わるまでそこに泊まってもいいという。実は,ビデオの内容がそろそろおかしな方向に進んできていて,明らかに通常のキリスト教とは違う雰囲気が漂ってきていた。セクト関係に興味も知識もない僕だが,これがどうやら「合同結婚式」で有名な統一教会らしいことは感づいてきた。

なるほどこれが以前どこかで聞いたことがある「洗脳プログラム」というやつか。

僕としては,こういう経験も面白いではないかと思ったのと,何より「ただで泊まらせてくれる」ということに魅力を感じてそのまま続けることにした。僕の方から出した条件は,夜はバスキングに行くのでそのアパートの鍵を借りたいということ。最初は渋っていたのだが,それならもう来ないと言うと渋々条件をのんでくれた。

そのアパートというのは,パリのRERという郊外列車で数駅の近郊都市にあった。まあ,15分ほど電車に乗っていたと思う。ごくごく普通のアパートで,その2室に2段ベットをそれぞれ2つ入れて,男女別々の宿泊室にしている。ここに住んでいるのは統一教会のパリ支部長一家で,奥さんは日本人だった。
アパートの鍵をもらったので、僕の生活はまったく束縛されることはなかった。朝勝手に起きて、街中に出て行く,ぶらぶらして時間をつぶし,午後の約束した時間に教会の事務所でビデオを見て,そのあと宿にギターを取りに帰り,深夜まで演奏して,寝静まった宿に帰る。こんなことが4、5日続いたと思う。

突然,担当の女性から、「ドイツで研修会があるんだけど参加してみないか。」と尋ねられた。何でも2泊3日で若者を対象とした研修会が古城を改装した教会の施設で開かれるらしい。講義は英語で行われるとのこと。僕は少し考えて。
「もちろんドイツには行ってみたいし、研修に参加しろというならそれもかまわないけど、自腹で行くなら嫌です。費用を全部そちら持ちでなら行ってもいいです。」と答えた。
彼女は何を厚かましいことをという顔をしたが、上司と相談するという。そのあと、上司の許可が下りて、翌日僕は彼女と一緒にミュンヘンへと行く事になった。

パリからミュンヘンに向かう夜行列車は非常に混んでいて、ほとんど満席だった。たぶん夏のバケーションシーズンに入っていたからだと思う。6人がけのコンーパートメントは全て埋まっていて、足も伸ばせない状態。僕は少しうとうととしたが、とても熟睡できるような状況ではなかった。翌朝ミュンヘンに着いた時は僕も彼女もくたくたに疲れていた。ここから迎えの電話をしなくてはならなかったのだが、彼女はどうも要領をつかめず、結局僕が電話することになった。
しばらく待つと迎えの車が来て、僕たちを研修のある古城まで運んでくれた。たぶん駅から1時間ぐらい走ったと思う。森の中に本当にお城が建っていた。結構古そうな建物だったのだが、中は近代的に改装されていた。この研修を受けたのは僕を入れて男女7、8人ぐらいだったと思う。僕以外はみんなティーンエイジャーだった。年も離れているし、彼らがどうも普通の若者の感じではなかったのでほとんど話しはしなかった。

その研修というのは、僕がパリで見せられたビデオとほとんど同じ内容だった。それを講師が英語で話していた。既に一回聞いたことなのでつまらなかったが、交通費も出してもらったので一応まじめに座っていた。城の周りを歩くことは許可されたが、敷地の外には出てはならないと言われた。まあ、缶詰状態だったのだが、食事もちゃんとでたし、環境もいいところで僕としてはなかなか居心地がよかった。

その研修も無事終了し、再びパリにもどりまた数日かけて残りのビデオを見た。内容はいよいよ奇妙なものになってきて、「善」すなわち「自由主義」、「悪」すなわち「共産主義」という構図で,その戦いの激戦区,北朝鮮と韓国がある地点、朝鮮半島にこそ救世主が現れるのだ、という風な説明だったと思う。どちらかと言うと左寄りの思想である僕としては,何を見当違いなという感じだった。ちなみにその時はベルリンの壁の崩壊の1年前だったはずだ。

この間、面白いことがあった。なんでも韓国の統一教会の幹部の娘が大学生でパリに立ち寄るらしい、何か粗相があってはならないと、フランス支部には緊張感が感じられた。ある日僕がベットに寝転んでいると、宿泊所のキッチンから言い合いが聞こえてきた。覗いてみるとその娘が支部長に対してすごい剣幕で噛み付いている。支部長はそれをなんとか取りなそうと悪銭苦闘としている様子だった。英語での言い争いだったので注意して聞いてみると韓国人の彼女は,「私の父は韓国で財産全てを教会に捧げて生きています。車もなければ、いつも質素な生活をしています。なのに、ここではなんていうことなの。新しい車に乗って、こんなきれいなところに住んでいる。もっと教会に貢献できないの。韓国に帰ったらこのことを教会に報告します。」
そんなことを報告されたらたまったものではないので支部長は困り果てた様子。

僕の目から見れば、支部長一家が特に贅沢をしているとは見えなかった。なるほど車は新車だったけれど、日本製の中級車だし、アパートも普通のところだった。まあ、統一教会の運営もその国に合わせた運営をしているのだろう。ヨーロッパ支部で韓国や日本でやっているのと同じでは信者が集まらないのだろう。果たしてその後、本部からフランス支部に何かお咎めがあったかどうかは、残念ながらわからない。

フランス支部には統一教会の息のかかった会社がいくつもあるそうで、信者の多くはそこで働いているそうだ。僕が会った何組かの夫婦は旦那がフランス人、奥さん日本人というパターンが多かった。その何人かの人たちに、「どうして信者になったのですか?」と聞いたのだが、答えはいつも決まって「霊的な体験をした」ということだった。誰一人その体験については具体的には話してくれなかったのだが。
でも、少なくとも僕の会った信者の人たちは生き生きしているように見えた。教会を通じて自分の価値と役割が約束されるからだろうか? 例えば、僕の担当の女性は、地味な性格の人で間違っても国際結婚して、海外で暮らすタイプではない。フランス語をまだまともに話せないような人が,パリの道で一人で勧誘しているのである。良くも悪くもそのパワーは信仰から来るものだろう。

さてビデオの最終巻を見終わった日、そのあとで担当女性とフランス支部長と話し合った。
「全部のビデオを見てどう思うか?」と期待を込めた目で僕を見つめながら尋ねてきた。
僕は正直に、内容はまあ面白かったし、そういう考え方があったとしてもかまわないが、僕はとてもじゃないが受け入れることはできない、と言った。
それを聞いた2人は明らかに失望の表情だった。
まあ、僕に脈があると思い、お金と時間を費やしたのだから仕方がないだろう。僕がプログラムを特に嫌だと言わなかったので勝手に信者になりそうだと思っていたのかもわからない。
なんか言われるのかなと思ったのだが、特に何もなく翌日宿をでろというだけだった。

家族、友人知人とのコンタクトを断つ。同じ考えを何度も何度も繰り返して聞かせる。その信仰をしている大勢の人と会わせていかに人生が素晴らしく変わったかを聞かる。親切に接して自分も仲間の一員だと錯覚させる。僕が聞いたことがある洗脳方法とはこれぐらいだが、一応その手順に従ったプログラムを受けたと思う。

ただ公平を期すために書いておくが、僕がパリで接した統一教会の信者は皆親切で(翌年担当の彼女は自宅に招待してくれ食事を振る舞ってくれた)、少なくとも表面上は合同結婚したパートナーと仲良く暮らしているようだった。離婚率が非常に高い昨今では、一般の夫婦と比べると同じ信仰というだけでも離婚率は低くなるのだろう。まあ、教会の方から神が決めてくれたパートナーとの離婚を許されているのかは知らないが。

統一教会の人にいわせると一人旅の若者は勧誘には特に狙い目だそうだ。やはり母国を離れて一人という状況が良いのだろうか? それとも一人旅の好きな人が、宗教などに興味を抱く傾向があるのだろうか? それにしても世界各国の街角で統一教会の信者が今日も勧誘活動をしていると思うと少しぞっとするのは僕だけだろうか?

P.S.実は、ここスイスでも統一教会との縁は何故か続くことになるのだが、そのことについてはまたの機会に。