David のこと 2

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翌朝、目を覚ますと朝食が用意されていた。改めて彼のことを詳しく聞いてみた。彼の名前は、David。自動車ガレージのオーナーで,昨夜迎えにきてくれた人は,そこの従業員らしい。そろそろ定年を考えていると言っていたので年齢は60過ぎだろうか。昨夜あれだけ不気味に見えたこの家は,実は彼が自分で建築中だそうで,まだ完成していないので奇妙に感じたらしい。上の倉庫の部分は,(その時は実際倉庫として使っていたのだが)ガラス張りのジェットバスのあるお風呂を作ると言っていた。こうして朝日の射す中で眺めると,実に気持ちのいいところだ。家の向こう側に小さな湖が見える。どうやらここは静かな住宅街らしい。
僕は,「パースの街中に出たいのだがここはどれくらい離れているのか?」と尋ねた。車で30分くらいということだった。「バスで行けるのか?」と尋ねると,車はいっぱい持っているので1台貸してやろうと言ってくれた。彼の年代物のベンツのオープンカーでガレージまで行き,赤のこれまた年代物のサニーのキーを僕に渡してくれた。えっ,本当にこんなことしてもらっていいの?と思ったが,旅をしていた頃の僕の信条であった「人の親切は素直に受ける」という言葉に従うことにした。
僕のDavidのところでの滞在は1日が2日になり,1週間になり,結局1ヶ月も居続けることになった。車のキーはもちろん家の鍵もくれたので,僕は自由に行動ができた。昼前にパースのショッピングモールか近郊のフリーマントルに車で出かけ,その日の気分で3時間から5時間ぐらい演奏した。パースではそれほど稼ぎは良くなかったのだが,何せ滞在費が掛からないし、食事もたまに僕が作ることもあったが,食材は使っていいと言われていた。だから稼ぎはほとんど残すことができた。しかも自分の車があるのだからどこにでも行ける。気が向けばビーチに泳ぎにいったり,知りあったワーキングホリデーの女の子とドライブに出かけたり,この間はまさにバカンス気分だった。
Davidは、友人知人も多く,夜はよく出かけていた。僕は一人で留守番の時もあれば、夜にバスキンングを試みる日もあった。また、たまにDavidに同伴して出かけることもあった。でも,依然として彼がゲイなのかどうかは確信が持てなかった。少なくとも彼の友人知人の多くはストレートだったからよけいにわからなくなっていた。
滞在しだしてから10日ほど経ったある晩,自宅で二人で食事した後、彼が昔の写真アルバムを見せてくれた。「これが別れた妻だ。」と言ってウエディングの写真を指差した。何だゲイじゃなかったんだ、と僕が思ったのもつかの間,次に「これが別れたボーイフレンドだ。」と今度はイカツイ男性の写真を指差した。「ああ,やっぱり。」これがその時の僕の感想。
一応僕が,「僕はストレートだ。」と言うと,「そんなことはわかっているよ。」と笑っていた。
何故Davidが僕にこんなに親切にしてくれたのかわからない。彼からは変なそぶりは一度もされたことはない。彼は僕を昔からの友人のように扱ってくれた。水曜日は映画の日だと言って毎週彼の友人と3人で中華料理を食べてから映画を見に行った。クラッシックのコンサートにも僕を誘ってくれたし,バンガローを借りての2泊3日のリゾートアイランドのバカンスにも同行した。このロットネス島はパースの人の間では超人気スポットでバンガローは半年前から予約しないと借りれないらしい。島には自動車は走っておらず徒歩か自転車のみ,カンガルーを小さくしたような有袋類の動物クオッカが生息している。ここの海の色は息をのむほど美しかった。もちろんこれら全て彼が支払ってくれた。
結局1ヶ月のパースでの滞在は最初から最後までDavidのところに泊まっていた。そして、僕のパースを離れる日に彼はバスターミナルまで例のベンツのカブリオレで送ってくれた。僕たちの別れはとてもドライな感じだった。
そのあともこの時のオーストラリアの旅では、僕は信じられないくらい親切な人たちに出会い,結局このオーストラリアを一周する間は一銭もオーストラリアドルに換金せず,バスで旅を続け,その上シンガポールまでの飛行機代を残すことができた。この経験は僕のバスカーとしての大きな自信に繋がった。
その後Davidとはしばらくは手紙のやり取りはしていた。新しい彼氏ができて,その男性が中国に留学するので一緒についていったはずだ。僕の毎年友人に送っている年末のクリスマスレターは、実はDavidのアイデアである。彼はクリスマスカードを送るのが嫌で,(確かクリスチャンではないと言っていた。)その年の自分の出来事を書いた手紙を友人に送っていた。僕もそれに共感し、まねをさせてもらったわけである。僕のクリスマスの手紙ももう20年近く続いている。