Kのこと 2

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僕は、バスカーとして世界各地を渡り歩き、Kは東京で家族とともにビジネスマンとして働いていた。

Kと僕は、すでに手紙のやり取りも途切れていた。そして、次第に僕はバスカーの旅の生活にも疲れ、今後の生活をどうすべきか悩んでいた。そんな時、妻とスイスで出会った。すぐにというわけではないが、やがて彼女と結婚し、家庭を持つ決心をすることになる。その結婚式にスイスに僕の両親を招くことになり、僕が両親を迎えに行くため、大阪に帰ることになった。大阪の実家で僕を待っていたのは、Kから電話があったというメッセージだった。なんだろうな、と考えながら電話をしてみると、酔いつぶれたKの声が聞こえてきた。
「三好、もう俺あかんわ。いっそ死んでしもたろかなと思うねん。」

「何やて、なにがあったんや?」

「M子が子供をつれて出て行ってしもたんや。迎えにいったんやけど、会ってもくれへん。」

「何でそんなことに…。まあ、ええわ。とにかく大阪にこいや。俺は、あと1週間は、大阪にいてるからゆっくり二人で話そうやないか。」

Kは、僕の提案に同意し、その2日後、僕の実家を訪ねてきた。

Kがぼろぼろになった姿で現れるとばかり思っていたのだが、なんと予想外のスーツに身を包んだ切れ者のビジネスマン姿で現れた。僕は、なんだか拍子抜けしたのだが、話を聞いてみると、この際転職することに決めたので、僕の実家に来たついでに関西方面の就職活動をするつもりだといっていた。それからの3日間は、寸暇を惜しんで二人でずっと話し続けた。ティーンエージャーからのさまざまな出来事。現在に至るまでにどのようにお互いの考え方が変化していったか。Kは、奥さんとの関係がもう修復不可能なぐらい崩れていった様子を包み隠さずに打ちあけてくれた。
そして、最後に「俺が離婚しようとしているときに、お前は結婚するんやな。」
Kは少し感慨深そうにつぶやいた。

僕も正直にずっと長い間Kの生き方にコンプレックスを抱いていたことを話した。そして、高校時代Kに裏切られたような気がしたこと、ヨーロッパで出来ることなら二人でバスキングをやりたかったこと、なども。Kの口から出てきた話は、僕を驚かした。Kは、高校生のときずっと僕の家族がうらやましかったということだ。僕の家族は、特に仲がよかったわけでも、理解があったわけでもないのだが、Kの家庭では、父親がアルコール中毒で、母親に対して暴力を振るっていたらしい。
そんなすさんだ家庭の彼からすれば、僕の家族は、理想的に見えたのかもわからない。

「とにかくうらやましかった。」とKは言った。その当時僕は、そんなKの気持ちを感じることはまったくなかった。「何であの時、言ってくれへんかってん。」と尋ねると、「そんなもん、言えるわけないやろ。」ということだった。

Kが何度か家出したという理由もこれで解明した。Kが、高校3年のとき音楽を捨ててまで受験勉強に走ったのは、1日も早く家を出たかったがための選択だった。Kは、大学生になって家を出てから一度も実家には、戻ったことが無いと言っていた。そして、M子と結婚して目指したのは、もしかしたら、かつてうらやましく思っていた僕の家庭であったのかもわからない。

僕らは、お互いの人生の中で互いの存在が、大きな役割を果たしていたことを確認した。

僕は、いつも自分にとってKは大きな存在だが、Kにとって自分は、小さな意味合いしかもっていないと思っていたのだが。まあ、僕がKに感じていた感覚とは違ったかもわからないが、僕の存在そのものがKにとって特別なものであったのは、間違いがない。

別れの日にKを僕の実家の最寄の駅まで送っていった。高校時代二人で千回以上は歩いた道だ。
「落ち着いたら連絡してくれよ。約束やぞ。」と僕が言うと
「当たり前やないか。ちゃんと連絡するよ。」とKは答えた。

Kはもちろん約束を守ることはなく、その後Kからは一切の連絡はない。

僕は、今でも時々、インターネットでKの名前を検索してみるのだが、何の手がかりも得られたことがない。このままKと2度と会うことがないのかと思うと、大事なものを置き忘れてきたような気がする。自我というものが芽生えてから、いつも影響を受け続けてきた存在ともう会うことも話すこともないと思うと、とてつもなく大きな喪失感を覚える。

実は、この話はまだ終わらない。

妻の妊娠がわかったとき、男の子か女の子か事前には調べなかった。従って、僕たちは2つの名前を用意しておいた。女の子用はすぐに決まったのだが、男の子用がなかなか決まらなかった。妻は、どうしても日本の名前にしたいと言い張る。候補に挙げる名前に困って思い出したのがKのファーストネーム。「正志」だ。妻もKのことは、僕から聞いて知っていたのだが、これがいいという。僕は、少し抵抗があったのだが、まあ、名前なんてどうでもいいと、気にかけないことにした。

今やすっかり「正志」は、僕にとって息子の名前であって、そこからKを思い出すようなことはない。ただ、息子と一緒にビートルズの「DAY TRIPPER」や「ALL MY LOVINNG」などを演奏していると、ふっとティーンエージャーのころKと二人で演奏していた光景が思い出される。

僕は、Kは失ったかもわからないが、同じ名前である「正志」は僕のそばで当分は演奏することだろう。しかも、かつて僕とKがそうであったようなライバル関係は、僕と正志の間で、すでに開始されている。演奏中のリズムの狂いなど、「パパが間違ったんだ。」と正志が言い張って喧嘩になることがよくある。早く、テクニック的な事項ではなく、音楽的なライバル関係になってしのぎを削りたいのだが、作曲、編曲でどちらのほうが才能があるのかという争いが起こるのはまだ少し先だろう。

いつも僕とKの人生は、何かにつけ反対方向に進んできた。

僕が平穏な家庭で育ったのに対し、Kはすさんだ家庭。僕が、敷かれたレールの上を走るような人生を送っていたときは、Kは自分の道を独自に進み、僕がバスカーとして自由に生きだすと、Kは、堅実なサラリーマンとして家庭を築く。ようやく僕が結婚を決意したときに、Kは離婚。これは、

妻が指摘したことなのだが、僕のイニシャルはK.M。Kのイニシャルは反対のM.K.

ちょうどさかさまだ。なんかすこし不思議な気がする。

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