僕には、現在8歳になる息子がいる。
名前は正志。ミドルネームは、トム。これは、僕が子供の頃大好きだったマークトウェインの“トムソーヤーの冒険”から取ったものだ。正志が生まれたとき、妻のメラニが、働いていたので、3歳になるまでの3年間は、昼間は僕が一人で正志をみていた。オシメを変えるのも、離乳食を作って食べさせるのも僕がやった。授乳以外は、普通の母親が子育てで経験することは、すべて経験したと思う。だから、僕と正志の関係は、一般的な父親と息子よりもずっと強いものがあると思う。でも、僕と正志の関係で本当に特別なものは、音楽のパートナーと言う点だろう。
子供が出来て、すべての親が考えるであろう事を僕たちも考えた。この子に何が出来るのか、どう育てるのが一番幸せになるのだろかと。もちろん、その子の人生は自分自身で決めるものであるから、親として出来る範囲であるが。
いろいろ考えて、やはり、“音楽”しかないな、と結論が出た。
自分の人生を振り返ってみて、何がよかったかというと、“音楽をやっている”ということだと思う。音楽をやっていれば、あわよくば、それで食べていくことが出来るし、趣味としてでも、非常に充実したものだ。一人でも、他の人と一緒にでも楽しめるし、年老いてからでも続けられる。しかも、言葉の通じないところに行っても、“音”を通じてコミュニケーションがなりたつ。僕が、このスイスで生きていけるのも、妻と知り合えたのも音楽があったからこそだ。それを、自分の子供に伝えることが出来れば、それが、何よりの僕からのプレゼントになるのではないかと思った。
正志は、赤ん坊のときから僕のそばで僕が楽器を練習するのを聞いていた。いや、彼には選択の余地がなかったのだから、強制的に聞かされていた。本当に小さいときは、意識的に日本の子守唄や童謡を歌ってあげた。日本人とのハーフなのだから、ペンタトニックのアジア的なメロディーが心に残ればという考えからだ。4歳ぐらいから、簡単な楽器から始めて、メロディカ、ハーモニカ、ウクレレ、ギターと進んできた。一緒に曲を作ったり、童謡をアレンジしたり、音楽を多面的に示してきたつもりだ。最初は、アジアの楽器でワールドミュージックの方向か、楽器をテクニック主体に捕らえるクラシックか、あるいは、歌うことを含めてポップス、ロックか、どの方向にするのかわからなかった。今、正志が自分で選んだのは、ビートルズ。もちろん、僕の影響だが、ビートルズの曲は全曲知っていると思う。それならばと思い、彼らのルーツであるロックンロールから初めて、どういう風にそれを発展させたのか示してあげようと思う。現在、メラニ、正志、僕と3人で演奏する曲のレパートリーは、純粋なロックンロールが多い。出来るだけ荒削りで、躍動感あふれて、装飾されていないロックンロール。それを演奏する快感を体に刻み込んでくれれば、自分の音を作るときにきっと役立つと思う。
親が子供に直接何かを教えるというのは、メリットとデメリットがあると思う。
いい点は、いつでも時間が取れる、そのとき、そのときでの必要に応じて練習方法、方向を修正しながら進めていける、細かいチェックが出来、モチベーションも与えやすいなど。悪い点は、なんと言ってもけじめがつかない。お互いに親しいがゆえに、喧嘩になってしまうことがある。もし、音楽教室の先生だったら絶対にしないだろうという態度も父親ならとれるし、その反対にお金をもらっている生徒なら我慢できることも、自分の息子なら許せない、ということも多々ある。「もう、やめる」、と言い合ったことは、何回あるかわからない。それでも、今までは、二人で何とか続いている。
今まで正志とは、バスキングで、パーティーで、小さなコンサートでといろんなところで一緒に演奏してきた。初めのうちは、僕のおまけという感じだったが、このところ、めっきり腕も上がってきて、僕のよき音楽のパートナーになりつつある。演奏中にチラッと顔を見あわせて、目が合っただけで意思が通じる。そんな時、僕は、なんて幸せなんだろうと思う。自分の息子とこうゆう素晴らしい瞬間を共有できているということに。
このあと、正志がどの方向の音楽を選んでいくのか、見当もつかない。僕自身、現在アジア音楽を主体として活動しているわけで、自分のことですら明日はなにを演奏しているのかわからないのだから。そして、正志がいつまで僕と一緒に音楽を演奏していくのかもわからない。そのうち、「パパは、そんなに上手くないから、一緒になんてやりたくないよ。」などといわれるのかもしれない。その日が来るのが心待ちでもあり、来て欲しくなくもあり、父親としては、非常に複雑な心境だ。