VUTのこと 

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9ヶ月ぶりにタイのチェンマイに戻ってきた。

ナイトバザールにVUTの姿を求めて出掛けてみたが、髪とひげを長く伸ばした彼の姿を見つけることはついにできなかった。ヒッピーのような生活をしている彼のことだから、どこかの町に流れていったのかもしれない。でも、やはり二人でもう一度ギターを弾きながら酒を飲みたかったと思うと、寂しい気持ちは、打ち消しがたい。

VUTとの出会いは、今年の1月の半ばだったと思う。僕はチェンマイからタイ北部の山岳少数民族を訪れる2泊3日のトラッキングツアーから再びチェンマイに戻ってきた。そのトレッキングツアーに参加する前にナイトバザールのそばの路上でバスキングは行っていた。僕にとってそれが確かタイにおける最初の演奏だったのだが、お金はともかくとして、タイの地元の人の温かい反応に気持ちよく演奏できたことを覚えている。

さて、その夜も前回同様ナイトバザール付近の路上でギターケースを開き演奏を開始した。二回目の演奏となるとそれほど緊張しなくて済む。だいたいどういう反応が返ってくるのかもわかっているし、第一演奏自体が可能なことがすでにわかっているのだから。

その夜も150バーツほどのコインを手に入れて、演奏を終了した。飲み物を買い、人影がまばらになったナイトバザール中央にあるステージの前の広場のベンチに腰を下ろした。

いい夜である。暑くも寒くもなく、月が綺麗に輝いている。僕は再びギターケースを開いた。なんとなくもう少し歌いたい気分だ。バスキングではなく、自分のために。けれど、自分のためにだけ歌の世界に浸るというのは、すぐに不可能な状態になってしまった。気がつくと、僕の回りには、人垣が出来ているのだ。みんなナイトバザールの店舗の人達、店じまいの合間に音楽を聞きにやってきたのだ。聴衆がいるとつい僕も張り切ってしまう。また、30分ぐらい歌っていただろうか。いつかタイ人の若者4人ぐらいが残っているだけになっていた。でも、彼らは飽きることなく熱心に僕の歌に耳を傾けていてくれる。しばらくして長髪でひげを生やした男が僕に「この後酒を飲みに行くんだ。一緒に来ないか?」といってきた。時間は11時をまわっていたが、このままゲストハウスに帰ったところで、何もやることもないので、彼の言葉に従うことにした。彼は、自分のアクセサリーの店(店といってもいすとイヤリングを飾りつけたボードだけなのだが)をしまうと、先頭に立って歩き出した。あとに髪の短い二人の若者が続く。どうやら長髪の男がこの中のボスらしい。

10分ほど歩いただろうか。暗い路地の突き当たりに「ウエスタンバー」と書かれた店にたどり着いた。どうやら彼らはここの常連客らしく、奥の大きなテーブルを占拠すると、メコンウイスキーとコーラを注文し、かかっていたBGMまで止めさせた。僕のギターを取り出すと1曲歌うと次のものが歌うという、「まわし歌い」をはじめた。僕は英語と日本語の曲、彼らはタイの曲。歌の合間に聞いた話では、長髪の男は、名前をVUTといい、年は30を過ぎているといっていた。彼は自由を愛し、今までいろんなことを試みてきたのだが、結局今は、針金細工のアクセサリーを作り、それをナイトバザールで売っている。ほんの少しぽっちゃりと太った丸顔に真っ黒でまっすぐな髪とひげをとくわえた容貌は、なぜか僕にオオクニヌシノミコトをほうふつとさせた。彼の歌もギターも決して上手いとは、いえなかったが、彼の歌うタイのフォークソングは、土のにおいとでも言おうか、素朴で、そして暖かさを僕に伝えてきた。彼は歌うときは目を閉じて、まるで自分が歌の中に入り込むかのようだ。生きることの喜びを、あるいは、悲しみを僕に伝えてくる。実際、彼の使う英語は、かなりでたらめなもので、僕の話もどれくらい理解しているのかわからないのだが、もう言葉など必要はなかった。彼の素朴で実直でやさしさにあふれた人格は、歌を通して僕に語りかけてきた。その夜、僕がその店を後にしたのは、午前2時を回っていたと思う。

翌日の夕刻、彼の店を訪ねていった。

昨夜の話では、ナイトバザールの近くに店を持っているという。そして、そこで昼間は針金でイヤリングを作るのだ。彼の書いてくれた地図を頼りに捜し歩いたのだが、なかなかそれらしき建物は見つからない。半ばあきらめかけたとき、空き地にテントを張った中で、VUTがカナヅチを振り上げている姿が目に入った。どうりでみつからなかったはずである。店という代物ではなく、ただの空き地なのだから。でも、そのテントで若者たちを使いながら、真剣な表情で針金から様々な形のイヤリングを作り出しているVUTの姿は、何か彼には似つかわしいような気がした。1時間ほど彼の働いている姿を眺めていた。金色のただの針金が、ペンチで曲げられ、幾何学的なイヤリングに変わっていく。VUTが彼の作った作品をいくつか見せてくれた。やはり彼の若い弟子たちの作ったものとは一味違う凝ったものだった。そのあと、別の仕事が入ったので、その下見に行くので、一緒に行こうということになった。バイクの3人乗りで連れて行かれたところは、新築中のゲストハウス。何でも、そこの庭に滝を作る仕事を引き受けたらしい。西洋人のオーナーとVUTは、期限と料金について話し合っていた。VUTは4人の若者たちと一緒に生活しているのだが。生きていくために例のイヤリング作り以外に、いわいる「何でも屋」もやっているらしい。

再びVUTの空き地、いや店に戻ってから、昨夜に引き続き酒宴が開かれた。地面にゴザを敷き、僕とVUT、そして若者たち4人が丸くなって、酒を飲み、歌を歌いあった。VUTが財布の中から500バーツ札を取り出して、ビールとおつまみを買いに行かせた。彼にとっての500バーツがどれほど大きな金額か、それを思うと、ごちそうになっていいのか?という考えが頭をよぎったが、僕はバスカー、彼の好意を素直に受けることにした。酒宴は続いた。僕たちは、飲み歌った。

VUTは、僕に彼と彼の仲間の写真をプレゼントしてくれた。

もちろん、僕も彼に、僕の演奏している写真を渡した。そして、二人で1本のギターを弾いている写真を撮った。僕は、この1枚が気に入っている。1本のギターを二人のヒッピーが、仲良く抱えている。そして、その写真のVUTは、どこが遠くの空を眺めているような目をしている。彼は、ギター1本で世界を渡り歩いている僕のことが、どんなに羨ましかったことだろう。彼は、僕に何度も繰り返した。「なあ、トシ。俺もお前みたいに旅をしたかった。いや、今もその夢を忘れていない。でも、俺は、ギターも歌も上手くないし、第一今は、こいつら、俺についてくる者の面倒を見ないといけないんだ。どんなに憧れていても、手に入らないものもあるんだ。だから、トシ。お前はその生き方をずっと続けてくれ。俺のためにも。そう、俺の夢のためにも。」

今、VUTはどこに行ったのだろうか?自由の旅に出たのだろうか?それとも、もっと地道な生き方と選んだのだろうか?

彼は、どこでどんな生き方を選んだところで、自由を愛する心は忘れないであろう。

そして、僕は、今夜も彼の姿を求めて、チェンマイの町をさまようことだろう。