風のBusker

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スイスに定住する前、10年ほど旅をしていた。

とはいえ、後半は、スイスを基点に動いていたので、本当に“根無し草”だったのは、5,6年だろうか。それでも、訪れた国は、40を超えていると思う。ほとんどの国で、バスキングを試みた。でも、本当に稼げたのは、スイス、ドイツ、イタリア、シンガポール、オーストラリア、カナダ、日本、そしてスカンジナビア3国、ぐらいだろうか。これらの国で、蓄えて、あとの国では、演奏を試みたというのが、本当のところだ。でも、ただ旅をしていただけではなく、バスキングと言う事項がいつも僕の中心にあった。

前にも書いたが、僕が夢見ていたのは、風のように自由になること。何の組織、機構にも属さず、ただ音楽を奏でて、国から国、街から街へと渡り歩く。一応、表面上は、そのような生活をおくっていた。いつも荷物は、大きなバックパックとギター。新しい街に着くと、ギターケースを開いて歌い始める。1ヵ月後、いや1週間後に自分がどこにいるのかさえもわからない。

ただ、自由になればなるほど僕は、孤独になっていった。

友人はいろんな国にいる。でも、旅をしている以上、それらの人々との関係は、その国に居るときだけ。離れてしまえば、「どこにいるのだろう」と、思われるだけの存在。僕が、“風のバスカー”から、“地のバスカー”に転身したのは、そんな理由からかもわからない。

旅を始めて、2,、3年の頃、あるバスカーのうわさを耳にした。そのバスカーは、ギターが驚くほど上手くて、歌もすごい。金髪、ブルーアイのそのバスカーは、ギリシャの島でその夏は歌っていて、いつも、すごい人垣を作りながら、聴衆を楽しませ、最後にはがっぽりとコインを手にする。残念ながら、そのバスカーに出会うことはなかったが、その話は、僕の心の中に深く焼きついた。彼は、いったいどんな経験をし、どんな出会いと別れを繰り返したのだろうか。そして、もし、僕もこのバスカーという生活を10年も続けたらどうなるのだろうかと想像した。そのときまでの数年でも、多くの出会いと別れがあった。本当にいろいろなことを経験した。10年後の自分がどうなっているのかわからなかった。

あれから、10年どこらか、20年が経過した。

僕が想像した通り、あるいはそれ以上に、いろんな出会いと別れがあった。でも、今わかるのは、何もバスカーでなくても、いろいろな出来事があったに違いない、ということだ。バスカーという生き方も、単なる一つの道で、何も特別なことではない。そうとはいえ、旅を生活の場にするというのは、少し奇妙な状況といえるだろう。そういう状況であるがゆえに起こる出会い、出来事もあるのだと思う。

今もなお、僕の中では、“風のバスカー”への憧れは消えない。ときどき、あの頃の思い出が蘇ってくる。旅をしていた頃、自分のバスカーとしての誇りと、将来への不安と孤独感。そして、僕の生き方に大きな影響を与えた人々、出来事。そんな、思い出が消え去らないうちに、ここにいくつかのエピソードを書きとどめておこうと思う。(最初のいくつかのエピソードは、僕がまだ旅の途中に書いたものである。)