Oben auf dem Hügel



息子の学校についてもう一つ。

前回に書いたように,息子の学校における外国人(スイス国籍ではなく)の比率は非常に高い。
スイス自体が,ドイツ、フランス、イタリアという3つの異なる文化圏を持つ多文化国家の上,歴史的にたくさんの移民を受け入れてきたこともあり,いろんな文化が入り交じっている国だ。その上,僕たちの住むBielという街は,ちょうどドイツ語圏とフランス語圏の境目にあるバイリンガルの都市で,それもあってかドイツ語を希望する移民,フランス語を希望する移民が混じりあい、外国人を受け入れやすい地盤が出来ていて、スイスの中でも外国人の割合が高い,その中でも東の町外れに位置する僕たちの住むこの地域は住居の賃貸料も比較的安いこともあり特に外国人の比率が多い。あるいはスイス人が少ないとでも言えるだろうか。

ここの子供たちは幼稚園のときから,様々な国籍、文化、宗教の子供たちが一緒に勉強しているのだから,さぞやインターナショナルに育つのだろうと思っていた。でも,以前から息子の学校に行くたびに何かしっくりこない感じがあった。

先日,息子の方から『なんでいまだに旧ユーゴスラビアの内戦をひきずっているのだろう?」と話しだした。どうやら内戦時に戦ったセルビアとコソボの女の子2人がよく喧嘩するらしい。気になったので,他の子供はどうかと尋ねてみると,そんなふうに喧嘩するのを見たことはないという。でも,僕の感じていた違和感、「本当の意味で混じりあっていないのではないか?」という質問をぶつけてみると,息子もそれはいつも感じているそうだ。もちろん,仲が悪いというほどではなく、授業などのチームでの課題などは協力しながらやっている。でも,休み時間にはいつも決まった子供たちでグループを作っていて,そのグループはほとんど同じ国籍の生徒が集まっているそうだ。とは言え部外者を拒絶することはないのだが,自然とそういうグループに分かれているらしい。ちなみに息子の属しているグループは,「その他」だ。学校に日本人関係の子供は他にいなくて,アルバニア人とスイス人のハーフの子,ラオス人の子、トルコ人(彼は学年でただ一人のトルコからの男の子なので)それにスイス人(数が少なくてグループを作れないため)がメンバーらしい。
なんか僕にとっては,少しショックな現実だ。これだけグローバリズムが進んだスイスでも,本当の意味での人種が一つになるということは難しいのだろう。

もう一つ感じたことは,生徒に関してはこれだけ外国人の比率が高いにもかかわらず。(ほとんどが外国人という方が早いのだろうが)教師に関しては,ほとんどがスイス人であるということだ。

息子が知っている限りでは,トルコ系の先生と,イタリア人、ドイツ人がいるだけで,たぶんあとはほとんどがスイス人だろうということだ。息子と2人でその原因を探したのだが,考えられることは,まず学力の点で教師の資格がなかなか取れないのではないかということ。教師になるには大学を出る必要があり,スイスの公用語を母国語としない外国人の子供には最初からハンディーがある。あとひとつ考えられるのが,特にイスラム教の家庭で娘が教職に就きたいと思っても,家族があまりいい顔をしないのではないかという点だ。もちろんイスラム教の女性のクラスメートたちもそれぞれ資格を取るためにいろんな職業の道に進んで行くのだが,教員というのは少なくても人気がなさそうだ。

息子に学校の悪口ばかり書くなと怒られたので、少しいいことも探してみる。
学力レベルは,やはり母国語の関係もあり,正直なところそんなに高くはないと思う。ただほとんどの子供は2、3カ国語を高いレベルで当たり前に話せるわけで,それはすごいところだと思う。考えてみれば母国語,スイスドイツ語、標準ドイツ語、(スイスドイツ語と標準ドイツ語を別の言語かどうかは意見の分かれるところだが)フランス語、英語と大抵の子はレベルはともかく5カ国語話せる計算になる。
それに本当の意味では混じりあっていないとは言え,小さい頃から他文化に接しているので,国籍や文化,宗教による偏見は少ないだろう。いい奴、悪い奴はいるが,それが国籍とかによるのではなく,その個人によるものだと言うのは,経験で知っているはずだ。

結局,小,中学校と9年間通った学校生活の最後に息子が自分で作った曲が,上のビデオの「Oben auf dem Hügel」という曲だ。前回の僕の書いた「Ghetto Schule」のテキストをベースにしているのだが,その上で、そこで本当にこの学校で過ごした者からの視線が感じられる仕上がりになっていると思う。たぶん息子にとってこの曲は学校の思い出とともに記憶に残る曲になるのだろう。



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Ghetto Schule



息子の通っている学校の評判はすこぶる悪い。息子が学校に通いだす時、近所の親切なおばさんが『あそこの学校だけは避けた方がいい』と忠告してくれたぐらいだ。その理由の一つが,異常に外国人の比率が高いことだ。それもあってか暴力事件や盗難事件、薬物の使用とかの問題がいろいろ起きている。

まず最初に説明しなければならないのは、ここでいう外国人とはスイスの国籍を持たない者(例えば僕)のことではなく,国籍はスイス人でもそのルーツが外国の人のことだ。つまり,A:両親ともにスイス人の子供、B:片方の親がスイス人の子供、C:両親が外国人でスイス国籍の子供 D:スイス以外の国籍の子供。と考えるとBとCとDだ。つまりスイスのパスポートを持っているが,ルーツが外国というスイス人も,外国人とカウントする。Bの場合はその判断が難しいが,僕の息子など外見上ではスイス人とは認識されないだろう。

小学校の時息子のクラスは約20人のなか両親がスイス人の子供は一人しかいなかった。中学校の今のクラスはもう少し多いはずだが,それでも数えるのは片手で充分足りるはずだ。それでも,息子の知っている限りスイスのパスポートを取っていない子供は少ししかいないということだ。つまり、スイス国籍ということであるなら,ほとんどはスイス人の生徒ということになるはずなのだが。

それでは実際に学校の状態はどうなのか?息子の話しでは、休み時間に殴り合いの喧嘩はよくあったそうである。小学校のときは週に1回ぐらい喧嘩があったと僕たちに話していたのだが,中学になって全然聞かなくなったので,尋ねてみるとあまりに頻繁に起こるので気にしなくなったそうだ。また、盗難や器物破損もよく起こり,その度にパトカーがやってきたそうで,犯人特定のため全校生徒の指紋も取られたそうだ。たまたま息子のクラスはその時スポーツの授業で校舎にいなくて息子自身は取られなかったそうだが。

あと,僕が驚いたのは煙草の更生プログラムがあり,申請すると摂取量を減らしていくと言う同意のもと指定の場所で喫煙が許可されているそうだ。つまり隠れて吸うのではなく,公然と喫煙出来るそうだ。もっともそれをしているのは一人だけで,あとの喫煙している生徒は,日本同様隠れて吸っているそうだが。実は,教師は生徒が喫煙している場所を把握しているのだが,問題になるといろいろと面倒なのであえて見て見ぬ振りをしているとのことだ。ジョイントを吸っている生徒も結構いるそうで、煙草を吸っているよりもジョイントを吸っている生徒の方が多いぐらいだ。というのもたくさんの子がジョイントよりもむしろ煙草の方が健康によくないと思っているからだ。また、この前小学校のときの息子のクラスメートが急性アルコール中毒で病院に運び込まれたそうだ。

一方,教師の方もユニークな先生が揃っている.息子の一番のお気に入りの音楽の先生は,スキンヘッドにそり上げていて,両腕には大きな入れ墨が入っている。まあ,スイスではTattooはごく当たり前なのだが,それでも学校の先生でTattooをおおっぴらに見せびらかせているのは珍しいだろう。
息子は授業を受けたことがないのだが,髪の毛を伸ばしていつも薄汚れたTシャツにジャージというヒッピー風の先生もいる。彼は,真冬でも裸足で学校に通ってくるそうだ。夏場にはだしで歩いている人はよく見かけるが,雪の積もる氷点下10°C以下の気温で裸足で歩いている人は僕は他に見たことがない。よくぞそんな人が教師として採用されたものだと感心する。

息子がそんな学校に通っているなんて,「これを歌にしない手はない」とずっと思っていたのだが,あまり息子が乗り気でなかったので,長らくそのままになっていた。昨年学校設立20周年記念のイベントが開かれ,僕と妻も息子の学校に足を運んだのだが、このときの校長先生が「我が校は評判の悪いゲットーの学校では決してありません....。」とスピーチを始めた。その時「Ghetto Schule」という言葉を聞いて,僕の頭の中に光が走った。翌日30分ほどで書き上げたのがビデオの曲である。息子は,ドイツ語の訳を付けるのをかたくなに拒否し,絶対に学校にばれないようにしろと言った。こんなテキストの曲を歌っているのがわかったら先生から文句を言われるとビビっていたのである。
そのくせそのあと息子が自分で作った曲,「Oben auf dem Hügel」の方では僕の曲より過激な歌詞を付けて何度も先生たちの前で歌っているのだが。

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卒業



僕の息子もはや15歳となり,この夏で中学校を卒業する。
これからの進路について息子はいろいろ悩んだあげく、結局高校には進まずに木工の資格を取ることに決断した。スイスの場合、中学校が終わったあと,4分の3くらいの子供は何らかの資格を取る道を進んで行く。15歳で自分の将来を決めるなんて、日本ではちょっと考えられないのだが、この国のシステムではそうなっている。そんなわけで,この夏以降は,僕たちの生活にも大きな変化がありそうだ。

息子とは,幼稚園に行く前から音楽を続けてきた。最初は,鍵盤楽器のメロディカから始まり,リコーダー、ハーモニカ、ウクレレ、ギターと進んできた。2人で、あるいは妻を加えて3人で路上を含めホームパーティー、結婚式,コンサートといろんところで演奏してきた。そんな僕の息子に対しての音楽教室の方も,ひとまず「卒業」ということにしようと決心した。息子にそのことを伝えると,少しためらったみたいだが,いちおう納得していたようだ。

息子が生まれて,何を伝えたいか考えた時,「音楽の楽しさ」を伝えることが出来ればと思った。まあ,僕自身がちゃんとした音楽教育を受けたわけではないのだが、自分ではそれなりに目的は果たせたのではないかと思っている。先日ちょうど学校で,自主プロジェクトというう課題があり,息子が選んだテーマが,「自分で曲を作り,全ての楽器を演奏して録音し,その上でその曲のミュージックビデオを作る」と言うものだった。まあ,いつも僕がやっていることなのだが,今回は,僕はノータッチでほぼ一人で完成させた。

曲の出来映えは,僕のオリジナルの二番煎じ的な感じもするのだが,自分の学校についての歌ということもあり、学校の行事のたびに演奏させてもらった。ビデオの方は,学校のホームページにも乗せてもらうそうだ。
僕も何回か息子のステージを見に行ったのだが、なかなかボーカルもギターも様になっていて,それなりにカッコいい。それを見て,なんか自分の役割もひとまず終わったような気がした。

もちろんこれからも息子とは一緒に音楽を演奏して行くわけだが,僕が先生として教えるという関係は、とりあえずひとまず終わらせようと思う。とは言え,いつか彼がフィンガーピッキングのギター,それに尺八や二胡などの民族楽器などに興味を持った時にはまた僕が教えることになりそうなのだが。

実はほんの少し前までは,息子が音楽を続けていくのかどうかすら確信を持てなかった。音楽をはじめた動機自体が本人のものではなく,親の意向であり、彼が気が付いた時には既にギター弾いていて,ほとんどの人から「小さいのに上手いね。」と褒めてもらっていたからだ。もちろん,小さいときはクラスメートの誰よりも音楽が得意で,褒められてばかりなので,本人としては悪い気がするはずもなく,ただ続けてきたようにも思えた。息子自身の意思なのか?あるいは親の希望なのか?確信を持てるまで10年以上かかったわけである。

少し前にようやく自分で初めてのエレキギターも購入し,(今までは僕が用意してしまっていたので)学校のバンドも掛け持ちで3つこなし、音楽の先生からドラムを3年間習い,という姿を見ていて,音楽をしているのは僕の影響ということもないだろうとようやく確信出来たしだいだ。

息子の僕からの卒業であるとともに,僕も子育ての一部からの卒業でもある。

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若者たち

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先日,日本では成人式が各地で行われたとインターネットのニュースで見た。僕はスイスに住んでいることもあり、普段は日本の若者と会うことも話すこともまったくないのだが,昨年は秋に日本に帰ったこともあり,これから社会人になる,あるいは社会人になった人と話す機会が何度かあった。それぞれの状況、環境、性格ともずいぶんと異なる人たちだったので,話しを聞きながら自分のなかで彼らを比較して楽しんでいた。


ある若者は,これから社会に出て行き、今までの自分が喪失するのではないかと不安を感じ,またあるものは,自分の想像していたものと現実の社会とのギャップに戸惑い,かと思えば,この社会構造を全て受け入れ上昇志向で生きている人もいた。そんな彼らに,僕のように適当に生きてきた人間が的確なアドバイスなど出来るはずもないのだが,彼らの思いにだけは真剣に耳を傾けたつもりだ。


そしてごく当然のことだが、彼らと話していて,「それでは,自分はどうだっただろうか?」と考えてしまった。


自分が大学生だったときは,最初の2年間は音楽にのめり込んでいた。授業の方もほとんど出なかったので,今考えるとよくぞ4年で卒業出来たものだと不思議に思えるぐらいだ。そのあとの2年間はバイトをして,自分の車を買った。いわいる学生生活をエンジョイしていた普通の学生だったといえるかもわらない。ただ,いつも「これは本当の自分の姿ではない」という思いが心の奥に潜んでいたのを覚えている。そのころの自分には,本当の自分の生き方を模索する勇気がなかったんだと思う。従って社会の通念である「卒業して就職する」という道を受け入れざるを得なかった。


就職して社会に出た当時は,「成功したい」という社会一般の概念に賛同して進んでいこうと試みた。半年で転職し,新しい職場では仕事も面白かったし、自分の生活が充実しているように感じることもあった。しかし心の奥底では,「これが自分の人生でいいのか?」という想いが渦巻いていた。


「何のために生きているのだろうか?」「何故働かねばならないのだろうか?」「何故自分は日本人なのか?」「この時代ではなく,他の時代に生まれていたらどうしていたのだろう?」そんな疑問が湧いてきてどうしようもなくなってきた。


僕が日本社会からドロップアウトするのを決心したのは必然だったように思う。ただ,当初は「その他の生き方」が見つかるなんて考えてもいなかった。たぶん自分は,1年後日本に帰ってきてまたもとのような生活を送るものと思っていた。だけど,どうしても自分の生き方を自分自身で決める力が自分にあるのか試したかった。そうすれば,たとえ日本に戻って来ることになったとしても自分は既存の価値観を受け入れることができるのではないかと考えたのだ。ただ、僕としては単なる気まぐれではなく,自分の人生を賭けた決断だったので,会社からの休職扱いの待遇も断り,アパート,家具,車と全ての持ち物を処分して,ギター1本とバックパックだけで,日本をあとにした。


旅をはじめた頃は,毎日毎日が新鮮で,「自分がたった今この世界に生まれてきたんだ」という感じがした。国籍も経歴も学歴も関係なく,自分の人間性だけで勝負する。僕にとっては,心が軽くなりふわふわ風に吹かれている感じがした。まあ,そんなボヘミアン的な生活も5年が経った時,自分には生涯ずっとこの生活を続けていくことは出来ないと気付くのだが。


そして今はスイスで,自分なりの生活のバランスをとりながら生きている。たぶん僕の生活は一般社会の価値観からはずいぶんずれていると思う。音楽で生きているので,自分が働いているのかどうかさえもくわからない。それと今のところスイスに定住を決めたときからのモットーである,テレビ、車,携帯電話をもたない,という方針は続けている。


もし,こんな僕が若者たちに何かアドバイスが出来るなら,自分の価値観,自分の気持ちに忠実に生きるべきだということだろうか。この社会を生きていくのに何の疑問も感じないのなら、それは幸運だと思いよけいなことを考える必要はない。社会の価値観に従い「成功」を目標に生きていけばいいと思う。しかしながら、もし社会,時代の価値観が自分に合わないときは,そんなものにはとらわれず自分を信じて生きるべきだと思う。結局「幸せ」を感じるのは,他人ではなく自分自身であるのだから。


仕事、家族,趣味、それぞれの人が自分にあったバランスを見つけ,その方向に向かって生きていくのこそ、幸せになる近道だと思う。




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Antonioのこと


アントニオはイタリア人の僕の同業者、つまりバスカーだ。彼はもう30年近くジョグラーとしてバスキングをしている。僕にとってはバスカーの先輩でもある。とは言え30年も25年もそんなに変わるわけはないので僕たちはスイスでの数少ないバスカー生き残り組だ。

僕がヨーロッパでバスキングを始めた頃は,ドイツ語は話せなかったので必然的にアメリカ人、イギリス人のバスカーと親しくなっていた。今もその頃からの英米の顔見知りのバスカーは,2、3人はいるのだが、その大半は消え去っていった。僕が知っている限りこのスイスのドイツ語圏で20年以上生き残っているバスカーは10人ぐらいだろうか?アントニオはそのうちの一人であり、僕の一番親しい友人でもある。

アントニオは、陽気なイタリア人そのままの気質で、話していてとても楽しい。その反面、ラテン系にしては珍しく時間にはきっちりとしている。まあ、スイスで生活しているので、時間にルーズではとてもやっていけないのであろう。そんな所も彼とつきあっていて気持ちのいい部分だ。
また彼は大の日本ファンでもある。でも、多くのヨーロッパ人の自称日本ファンのようにアニメや食べ物が理由で日本が好きなのではなく、彼が日本でよく仕事をしたからだ。実は彼のプロモーターがアムステルダム在住の日本人で、日本でのパフォーマンスの仕事をよくとってきてくれたのだそうだ。彼は少なくても4回は日本に行っている。北海道、九州,名古屋と数ヶ月から半年ぐらい滞在していたそうだ。そのなかでも彼にとって2005年の愛知万博での仕事は特に楽しかったようで,今でも僕にその時のことを懐かしそうに話してくれる。

彼のジョグリングのスタイルは地面にボールを落として跳ね返るのを利用してやるタイプだ。8つボールを1分近くジョグリングを続けることが出来る。彼にとって10個のボールで出来るようになることが夢だそうで、ここ数年その練習をしているのだがなかなか完成しないようだ。彼が普通の上に放り投げてのジョグリングではなく、地面の跳ね返りを使ってのジョグリングを始めた頃は、誰もそれをやっていなくて良かったのだが、今は若手の多くのジョグラーが使っていてインパクトが無くなったと嘆いている。
彼は僕よりも少し年上なので、ジョグラーとしては大ベテラン、悪く言えば新しい風にはついていけない年齢だ。事実、サーカスなどで観るパフォーマンスと比較するとひとひねり足らないと感じてしまう。実際のバスキングではジョグリングとともに子供たちに風船で動物や花を作って渡している。なかには彼のことをジョグラーとしてではなく、「風船おじさん」と認識している人もいるくらいだ。僕も風船だけすれば機動力もますのだから、たまにはジョグリングの道具を持って来ないようにすれば?と言うのだが、そこはやはりプライドがあるのだろうか、決してバローンだけでは来ることはない。

アントニオは、2回目のスイス人の奥さんとの間に子供が2人いる。下の女の子は僕の息子と同じ年だ。彼は土曜日にいつもベルンでバスキングをしているので,僕が土曜日にベルンで演奏するときは、二人で昼食を一緒にとる事が僕たちの間の約束となっている。セルフのレストランで一緒に昼食をとりながら彼の家庭の愚痴がもっぱらの僕たちの話題になる。お互いの家族のこともよくわかっているので、まあ僕の方も愚痴をこぼすこともあるのだが。

アントニオは「俺たち芸術家の人生観は、なかなか理解してもらえないけど、こんな素晴らしいものはない。それに路上でのパフォーマンスはマジックだ。俺たちは好きなことをやっていて、しかもお金をもらっているんだからな。」とかよく言っている。そのくせ最近は稼げなくなってきたと現実的な愚痴をこぼしているのだが。彼の奥さんは最初はアントニオのそういう人生観に共鳴してくれたようだが、子供が成長するに伴いより現実的な価値観に変わっていったと嘆いている。まあ、僕からすればそれで家庭としてのバランスが取れているように思えるのだが。アントニオや僕みたいな人間ばかりだったら、そもそも社会自体が存続しなくなってしまうだろう。

アントニオは音楽が趣味だ。ギターの腕前はなかなかのもので、変則チューニングのフィンガーピッキングで弾く。ただ困ったことに自分のオリジナルしか演奏しないので、彼とセッションしてもあまり面白くはない。特に数年前から変則チューニングで弾きだしてからは、何のコードを弾いているなか僕にはわからないのでよけいにややこしくなってしまった。それ以来、一緒にギターを弾くのはやめて、僕はカホンを叩いてパーカッションに回ることにした。これで一件落着した。

このビデオは先日アントニオがうちに遊びにきたときに、彼の演奏を録画したものだ。彼のオリジナルで、イタリア語の歌詞の内容は教えてくれないので僕はわからない。たぶん20年以上前に作った曲だそうだが、その曲をいつもアレンジを変えては『こうでもない、ああでもない』と言っている。彼にはそんな曲が20曲ほどあるはずだ。
演奏のあとうちにあったボールで少しジョグリングの場面をビデオにとりたいというと、気前良く応じてくれた。3つのボールでのジョグリングなどアントニオにとっては朝飯前のことだ。僕はアントニオのパフォーマンスはいつも観ているのだが、自分の目の前でこういう風に自由にバールを操られるとインパクトがある。しかも突然頼んだのだから。

バスカーになってからは、このアントニオをはじめ、マジシャンやスタントマンやパントマイムや彫り師といった特殊な職業のひとと知り合う。まあ、僕たちのバスカーという仕事も間違いなく特殊職だろうが。

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