若者たち

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先日,日本では成人式が各地で行われたとインターネットのニュースで見た。

僕はスイスに住んでいることもあり、普段は日本の若者と会うことも話すこともまったくないのだが,昨年は秋に日本に帰ったこともあり,これから社会人になる,あるいは社会人になった人と話す機会が何度かあった。それぞれの状況、環境、性格ともずいぶんと異なる人たちだったので,話しを聞きながら自分のなかで彼らを比較して楽しんでいた。

ある若者は,これから社会に出て行き、今までの自分が喪失するのではないかと不安を感じ,またあるものは,自分の想像していたものと現実の社会とのギャップに戸惑い,かと思えば,この社会構造を全て受け入れ上昇志向で生きている人もいた。そんな彼らに,僕のように適当に生きてきた人間が的確なアドバイスなど出来るはずもないのだが,彼らの思いにだけは真剣に耳を傾けたつもりだ。

そしてごく当然のことだが、彼らと話していて,「それでは,自分はどうだっただろうか?」と考えてしまった。

自分が大学生だったときは,最初の2年間は音楽にのめり込んでいた。授業の方もほとんど出なかったので,今考えるとよくぞ4年で卒業出来たものだと不思議に思えるぐらいだ。そのあとの2年間はバイトをして,自分の車を買った。いわいる学生生活をエンジョイしていた普通の学生だったといえるかもわらない。ただ,いつも「これは本当の自分の姿ではない」という思いが心の奥に潜んでいたのを覚えている。そのころの自分には,本当の自分の生き方を模索する勇気がなかったんだと思う。従って社会の通念である「卒業して就職する」という道を受け入れざるを得なかった。

就職して社会に出た当時は,「成功したい」という社会一般の概念に賛同して進んでいこうと試みた。半年で転職し,新しい職場では仕事も面白かったし、自分の生活が充実しているように感じることもあった。しかし心の奥底では,「これが自分の人生でいいのか?」という想いが渦巻いていた。

「何のために生きているのだろうか?」「何故働かねばならないのだろうか?」「何故自分は日本人なのか?」「この時代ではなく,他の時代に生まれていたらどうしていたのだろう?」そんな疑問が湧いてきてどうしようもなくなってきた。

僕が日本社会からドロップアウトするのを決心したのは必然だったように思う。

ただ,当初は「その他の生き方」が見つかるなんて考えてもいなかった。たぶん自分は,1年後日本に帰ってきてまたもとのような生活を送るものと思っていた。だけど,どうしても自分の生き方を自分自身で決める力が自分にあるのか試したかった。そうすれば,たとえ日本に戻って来ることになったとしても自分は既存の価値観を受け入れることができるのではないかと考えたのだ。ただ、僕としては単なる気まぐれではなく,自分の人生を賭けた決断だったので,会社からの休職扱いの待遇も断り,アパート,家具,車と全ての持ち物を処分して,ギター1本とバックパックだけで,日本をあとにした。

旅をはじめた頃は,毎日毎日が新鮮で,「自分がたった今この世界に生まれてきたんだ」という感じがした。国籍も経歴も学歴も関係なく,自分の人間性だけで勝負する。僕にとっては,心が軽くなりふわふわ風に吹かれている感じがした。まあ,そんなボヘミアン的な生活も5年が経った時,自分には生涯ずっとこの生活を続けていくことは出来ないと気付くのだが。

そして今はスイスで,自分なりの生活のバランスをとりながら生きている。

たぶん僕の生活は一般社会の価値観からはずいぶんずれていると思う。音楽で生きているので,自分が働いているのかどうかさえもよくわからない。それと今のところスイスに定住を決めたときからのモットーである,テレビ、車,携帯電話をもたない,という方針は続けている。

もし,こんな僕が若者たちに何かアドバイスが出来るなら,自分の価値観,自分の気持ちに忠実に生きるべきだということだろうか。この社会を生きていくのに何の疑問も感じないのなら、それは幸運だと思いよけいなことを考える必要はない。社会の価値観に従い「成功」を目標に生きていけばいいと思う。しかしながら、もし社会,時代の価値観が自分に合わないときは,そんなものにはとらわれず自分を信じて生きるべきだと思う。結局「幸せ」を感じるのは,他人ではなく自分自身であるのだから。

仕事、家族,趣味、それぞれの人が自分にあったバランスを見つけ,その方向に向かって生きていくのこそ、幸せになる近道だと思う。